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仙丹

-------2016/12/29

正月前の粛々とした神社に行きたいという友だちの希望により実現した、鹿沼の古峯神社参拝。巡り巡って、弥三郎岳に行った同じメンバーになった。どういう宿業(!)によるものか、とてもスピリチュアルなつながりを感じる友だち。
その話題がとにかく、インドでしょ、天狗でしょ、ニューエイジ系のスピな話題でしょ、古代史でしょ、神社でしょ…これでもかって、ね。

情報ありすぎで何喋ったのかさだかでないけど、最後、また『丹』の話になり。
丹ですよ、丹。なんでこんなに丹が気になるのか…ということも含めて書きます。

『丹』という鉱物は『辰砂』とも『赤色硫化水銀』とも。
中国では『仙丹』という、仙術に使う丹(=薬>仁丹とか言うでしょ?)に、辰砂が使われていた。
そしてまた、丹は『賢者の石』とも言われる!!!
-------

辰砂(しんしゃ、cinnabar)は硫化水銀(II)HgS)からなる鉱物である。別名に賢者の石赤色硫化水銀丹砂朱砂などがある。日本では古来「(に)」と呼ばれた。水銀の重要な鉱石鉱物

「朱砂」や「丹砂」等と呼び、鎮静催眠を目的とするなど。

(たん、に、あか)

 辰砂「三重県の鉱物」

-------
なんだろうね、この鉱物は。

で、古来、鉱物資源の知識が豊かだった渡来人はとても密接な繋がりにある。そしてまた、その知識は修験にも関係してくる。
修験、その不思議な宗教はなんだろう?宗教と言うのともまた異なる、その風俗は。
そして、その日本特有の風俗に関わっているのが仏教(それも密教)
密教と言えば空海…

空海は、鉱物資源についての知識に詳しい渡来人のネットワークを持っていたと本で読んだ。
で、空海の最後は水銀中毒の症状だったのでは、という話も(トンデモ?)。本の中で、そこだけ記憶に引っかかっている(ってのもおかしい)

で、インドの養生学というか医学というか、の中に、こういった鉱物を扱う分野が独立してあった、ということを、この日いっしょだった友から聞く。

興奮ですよ、わたし。そうなの!って叫んじゃった。

その養生学では、水銀を無毒化する方法があって、その無毒化された水銀を使うという…その効果がすごいらしい。わお、ほんとか!今までの疑問が全部つながっちゃうぞ!!!
仙人になれちゃう薬、仙丹とは、これかもしれない……それを空海は使っていたとか???
インドには昔からそういう学問があったそうで、それを中国伝いに空海が手にいれてもおかしくはない…という話になり…
   えええええ!
みたいな。
それじゃあ、超人(=覚者)への変容の肉体的なスイッチを入れる何かしかの方法を、空海は密教と一緒に持ち帰ったのかも(…という妄想が…)笑!とまらない!!!爆

空海が、金星が口にとびこんできて悟りを得たって話も
鉱物がなんかつながる臭い!(→妄想通り越して暴走)

それでだな!その事を聞いたあと、興奮のまま帰宅して、なんとはなしにテレビを見ていたら、シンクロナイズドスイミングの番組で何故か『脾臓』の話題をしている。
   脾臓???
みたいな。
脾臓なんかぜんぜん欄外で見てない臓器。注目外。
その臓器が、水中に住むほ乳類(アシカなど長時間水中にいる動物)では重要な役割をしてる、という話。長い時間水中に潜る時(=呼吸を止める時)、脾臓が蓄えた酸素たっぷりな血液を放出して、無呼吸状態を支える。長い時間水中にいるシンクロの選手は、この脾臓の働きが通常の人より活発であると。。。。
   えええ?もしかして、脾臓って
   あれ─シュタイナーのオカルト生理学─の中で
   『重要』って位置づけなかったっけ???
みたいなことを思い出し、ネットで調べる。
脾臓は、肉体的には(物質的には)ほとんど役割が無いが(そのために、摘出しても人体に影響はないと言われる)霊的にはとても重要な役割がある…ということだった。
   それだーーーッッ!
なんかわかんないけど、それだ!って気がする。


なぜか最近の私の興味に、「覚醒」(チベット密教でいう覚醒で、クンダリーの上昇を伴うもの)があった。なぜか、そういう話題をしてるページを見つけて、目が釘付けになって。そのまま色々『覚醒』についての情報収集。そうそう、私の記憶にひっかかっていた、もうひとつ「スピリチュアルエマージェンシー」のことも、ここに詳細が。しかし。「なんじゃこりゃ~!」#&%$0)'$$…という拒否反応。
あまりにぶっとんでいる、急激な覚醒のもたらすもの、それを求めること、その根底にあるものへの拒絶というか。わたしの過去世にかかわってるのかもだけど。なんじゃこりゃ(イカンぞ!)だった。。。。


クンダリーの覚醒は、モノによっちゃ、すごく危険で、生体のエネルギーがぐちゃぐちゃになって、一生を棒に振るケースがあるとか。
で、そのスピリチュアルエマージェンシーに有効なのは、信仰、とか、知識(普通の知識では無い、インド哲学がよく使うパラビッディア、至高の知識のこと)であるというような事もまた、記事として載っている(>すげえよ、この記事書いた人!)

この時、わたしにはいろいろなシンクロが巡っていて、これらの一連の情報は無関係ではなく、ひとつらなりになっていると思えて……


それは、生物的な進化と霊的な進化の事。


それをだれかが教えようとして、シンクロを起こしているとしか思えなく。

多分、人間が進化するには、色々な鍵があって、その中でも重要なのが、脾臓、呼吸、丹(賢者の石)、脈管(チベット密教の言う)、金星、鉱物…なんだろーと。

それには、知識の土台が要る。それが無いと危ない。

人間の自然な進化の過程で、霊的生物的な進化が起こるならば、それはそうなのだろう。でも、そこには過去のカルマや(ココロに蓄積された『影』)ネガティブな思考がトラップの様に張り巡らされている。それに引きづられて、自然の流れを思考でせき止めてしまう、覚醒を止めてしまう。それが、エマージェンシーを引き起こす…と。それが危険の正体なのではないか。
人の心は一筋縄ではいかない、さまざまな「たまりもの」がこびりついている。
ウパニシャッドでは、それを、知性の洞窟にあるゴミ、と言っている。

人間の本来の知性の力を発動させないと、むり。
そのために、知性を鍛える必要があるのだと教える。
知性に、普遍的な知識が力を与えると。



チベット密教では、顕教の勉強を重視する。それは知識に関するものだからだ。
その知識がない、半端な覚醒では、その人にとって危ういことになってしまうと。

秘しているのはそのためである、密教であるのはそのためである、秘説であるのはそのためである。
人間の知性の熟成に伴って自然に覚醒するならば心配はないのだろうが。
人間には、自分で観えていない無意識のごみためが(ことばわるいけど)ある。

サンスクリット語で、サンチタカルマ、蓄積されたカルマ、カルマの倉庫とか言われるもの。

そのサンチタカルマを燃やして無くしてしまうのが、知識の炎、ギヤーナアグニであると教える。
ああ、なんか全部繋がったぞー!!おー!


さらに。
なぜ仏教なのか、というと、サンスクリット語を学ぶ中で知ったことだが、仏教と言うのは、神を否定したが故に、内面…自己の心理面を深く掘り下げざるを得なくなった。そのため心理をとことん追求して、唯識が出て来た。心理面に於いて、他の六波哲が及ばない深みにまで掘り下げた。
勢い、その中で「人間とは」の深い洞察が培われ、その知識によって、また覚醒も促されて行くことになる。というような。あーなんか書く手がおいつかない。まとまってない。けど、こんなことが神社巡りしてく中で感得されてきたわけです。

もしかしたら、神社というのは、ある意味「装置」として優秀なものかもなんて妄想も涌く。
そこに参る、詣でることでの心理的変化が促進される。
人間を洞察していた古代日本のヒシリたちが、心のシステムを発動させる装置を使っていたことは想像に難く無い。。。。。 妄想だけど。山を歩いていて、巨大な磐座に出会うと、古代のテクノロジーに思いを馳せざるをえなく。

古代のひとたちは、精神的にも技術的にも、現代人をはるかに凌駕していたのだ。
山のエネルギーはそのことを教えてくれる。



そう、山は八間、知性の父韻の場所だからね。
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ひとりごと「奇跡は無い」

2016年06月23日23:19 61

また何を迷妄してるのやらなわたくしでございます。 

全ては必然で、予定調和のみがある。 

全てはカルマとカルマの結果であり因縁である。 

カルマとは「行為」であり、この世界は行為によって成り立っている。 

行為とは、作用反作用。行為の結果とは反射。起こるべくして起こる。 

この世界はこの一瞬だけの中に存在している。 

過去も未来も存在しない。それが存在するという迷妄に捕われて、いまここを失い続け、3000年が経った。 

イザナギが黄泉の国から帰還したことが、よみがえりである。 

イザナギの自己宇宙の確立が、ミハシラノウズミコの総結論。 

スから始まり、ズ、で完了する >濁点は完了形 

「すず」とはそのことを表す。 

形而下では「鈴」という物質。 

いまここ、という「中今」に於いて、全てが生じ全てが消滅している。 

陰陽という関係に於いて、主客という関係に於いて 

その連続が永遠に続いていく。。。。。。。。。 

果てしなく 

無限に 

そして、それは、言説不可得であり、不立文字である。 

説明不可能な「中今」いまここ 

いまここ、こそ、全ての宗教が目指して来た場所。 

それは、説明の出来ないもの。 

そこに立っていることだけがあるだけの 

ほんとに、それだけの偉大なこと 

brahmanブラフマン=梵=意識とは 

「最も大きなものよりも大きい」という意味 

「我」が〜私は誰か〜と膨らんでいき、宇宙が出来た。これ、インド哲学。 

それがブラフマン。 

または、mahat、マハットとかも云うかもしれない。 

偉大な知性。 

知性とはとてもクリエイティブな働き 

知的であること 

又は、創造とはとても知的な行為 

ヒトにしかできない 

その、知性を、現人類はどぶに捨て続けている。 

その問題。 

人間は『人類』として生きる段階に… 

自分ではなく、人類として。 

それこそが、言霊学の教えていること。 

そして、それこそが今ここの真理 

しかし、説明不可能 

こうしているこれこそがそれ 

OM TAT SAT 

ॐ नन् सन् 

これこそがそれである 

貴方が居て、私は渡し、完了する 

愛の循環! 

日本語こそは、説明不可能な今ここ 

超絶ひとりごとでごめんなさい!

ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜旅編6〜

■大地の芸術祭/旅日記■DATE2006/09/06〜09

「 大 地 の 芸 術 祭 」

越後妻有アートトリエンナーレ2006
えちごつまりあーととりえんなーれ 

新潟、十日町周辺を舞台に、
世界各国からアーティストが集結しての
アートフィールドワーク

そのメインは

……インスタレーション……Instaration…
場所との会話

「場所の特異性」の中に、アートの花を咲かせる
というイベントが、3年ごとに開かれている。

今回はその3回目。
会期は50日に及ぶ。 
作品の数は330あまり。
それが、越後妻有の広大な地域に展開する。
次回は(開催も危ぶまれているが)2009年、
そして、その次は2012年になる…… 



大地の芸術祭 アートトリエンナーレ2006


9月6日 雨 

朝、池袋の東急ハンズの前で友人のやすえさんを待つ。 
アミーゴ小池という人のイラストの前で佇む。 
  アミーゴ。。。。 
  アミーゴ〜〜〜〜〜ォ!!!(意味不明)

彼女と合流したとたん、最近あったことを、どとーのごとく、二人でしゃべり出す。彼女は、最近行っていたワークの中の「ラポール」のことを話し、私は前日のスピな茶話会の話しを。お互いに気付き合ったことを、途切れ無く喋りまくる。バスはいつの間にか六日町着。3時間あまりが、あっといまに過ぎていった。
六日町の高速のバス停から、JR六日町駅まで歩く。結構な道のり。雨の中、人影もない田舎道(でも車だけは通る)を歩く間も、しゃべる、しゃべる。一体、こんなに話題があるものか、というくらいだ。道ばたに生える朝顔さえも、
話の肴になった。
今となっちゃあ、何をどう喋ったのかよく覚えてないが、
なんだか濃い内容だったという記憶だけはある。 

昼食の時間はとっくに過ぎている
空腹を満たす為、地元ぽーっい、カレー屋さんに入る
(駅前にこのお店一件だけ。他の選択肢はない!)
インド人の経営しているらしい、でも、えらく地元に染まっている感じのお店で、豆のカレーを食す(メニューにナンが〜こんなローカルな地でぇ?←信じ込み)

テーブルに、造花と生花を一緒に水にさしてある飾りを観て、そのどうでもいい加減というか奔放さというかでたらめさというか無意味さについてまたもや
ながなが〜っっと、どうでもいい感じで喋る 

造花と生花を一緒に、それも水にさしてある、この無意味という意味のインテリアに、今回の旅の全てが象徴されているような感じだった… 
ひとしきり、その造花と生花のことでしゃべりまくり、
そして、ほくほく線に乗り、六日町から十日町へ。 

「ほくほく線」は、ローカルな香りを放ちつつも新品の車両で、車内はイベント用に工夫をされており、旅の気分が盛り上がる。 どうやら、車内の天井に星空などの映像を映し出すようになっているらしい。見る事はできなかったけれども、旅人へのアピール満載の2両編成だった。

われらの話は、車両の事も含めて、あちこちにとっちらかって飛ぶ 

オトコの話、オンナの話。 

男は優しく、女は強い。 

今はそれがぐちゃぐちゃになっている時代。
そんな話だったか。 
やすえさんのチャネリングが入りーの、私のビジョンが入りーのの会話が、
一体どこへ向かうのか………あてどのない旅でもあるかのような、不思議な旅の始まりだった。 


十日町着後、すぐに、会場のひとつ、「キナーレ」という 名の
『越後妻有交流館』というところへ行く。 

不慣れな場所に、雨
なかなか辿り着けない。 
なんだか、二度も立正佼成会のキレイな建物に惑わされ、
「これもなんか意味があるのかねえ」なんて話しながら
やっとキナーレ着

「キナーレ?きなされ?なんだろうね?」
気を流す、気が流れる……

意味は解らないが、こちらの受け取る意味は勝手気ままで、
命名者の意図などはどこ吹く風。 

芸術祭のパスポートは、スタンプラリーよろしくハンコ集めを楽しめるようになっていて、作品ごとにスタンプを押しまくる。 後日知ったけど、300あまり在る作品のスタンプを全部押すと、2006の文字が浮かび上がるようになっているらしい。 

こんな遊びも楽しくて、帰宅後も気分が盛り上がりまくったわたしなのだった…


------------------
夕方が迫って来るが、雨の弱まる気配も無く、館内で一通り作品を見回っても雨は止まない。
そろそろ宿へ向かうことにする。

館内にあった作品や、雨が降る風景、
それぞれに心打たれるなにかがあって、
そのたびに、その感覚をシェアしあう。 
…旅は道連れとは、よくいったものだ。。。。。 

宿に着く。素泊まり4200円(わー安い♪)
夕食を取りに、再び雨の中へ。 
やすえさんが見つけた、エスニック料理のお店に行く。
まず乾杯。 

十日町、10の数字をよく見かけた旅だった。 
なんか意味ありげ。 
解ったとこは、十は、クロス。十字。縦の棒、横の棒。
クロスオーバーする接点に、私たちは居た。
お互いの情報をシェアする。クロスする。 
すると、新しい気付きが生まれる。 
芸術祭もクロスオーバー。 
人のクロスオーバー。 
情報のクロスオーバー。 
自然と人のクロスオーバー。 
作品と人のクロスオーバー。 
感情のクロスオーバー。 
男と女のクロスオーバー…… 
優しさと逞しさの 
大地と空の 
美と心の…
 

十日町には、そんな意味があったのか…


新潟は酒処! 
酒で緩みつつ、話はまだ止まらない。
酒が旨いということは、水がいい、ということだ
そうか、水がいいのか… 
新潟の人の優しさは、水から来ているのか…
そんな気付きもあった。 

初日からこんな感じで、宴会気分。 
明日の朝食を仕入れなければ、と、コンビニまで歩いたのだが。
これが、都会人からしたら、信じられないほど遠い! 
15分は歩いたか。それも雨の中。 
でも、その間も会話が途切れない。 
ああだこおだ、それだ、いやこれだ。。。

作品を結ぶレイライン、そんなものが存在しそうだ。
作品が接点となって、人と自然を結ぶ 
そんなレイライン。
 
雨の中を歩きながら、そんなことを思う初日夜。

宿に帰ったら、もう風呂って時間じゃないよなーと、思ったら
ちゃんと宿の人は、お湯も落とさずに、待っていてくれた。殆ど時間外手数料。 
うーん、やさすぃ。 
なんともいえない気遣いを感じる。
  …例えば濡れた傘。 
ふと玄関を見ると、私たちの傘が開いて干してある。
そして、次の日の朝にはちゃんとつぼめて傘立てに。 
干してあるのを見かけなかったら、宿の人の気遣いも解らなかったはずだけど。
それに気付かせてくれた存在がいるのだ、きっと。。ホラホラ、こんな気遣いをしてくれたよ。っと囁く存在が。

そんなこんなを感じつつ、二日目。 
バスツアー。 
何しろ作品の量が多くて、範囲も広い。
足が無い事には廻り切る事も出来ないので、バスツアーを申し込んだ。 
北回り、南回り、全部で4コース。 
作品全部とは行かないけど、7割くらいは見る事が出来る。

雨の中、いざ。 

最初に見た作品は「えな」=胞衣=

土壁と、石、震災にあった建物の廃材を利用しているという。
作品制作は雨のために難航し、開幕に間に合わなかったという話だ。
でも、完成後は人気の作品になって、多くの人が訪れている。


それはまさしく、えな、=胎盤=… 
人の生まれる処。
宇宙のえな。 
インフィニティフルーツ…それは「えな」だった。。。



(「インフィニティフルーツ」は、
  この年の5月にふたりで開いた作品展のタイトル。
  「永遠の果実」
  それは、宇宙を孕む果実。今回の旅に妙にしっくりと添う。)


大地は、人間の「えな」というコンセプトだろうか。
人が胎児のように大地にくるまれ育まれ変容の時を迎えている今。。。
意味深い。人間は大地から離れては生きて行けない 
大地の芸術祭の最初に見る作品が、えな、とは。 

人間 

大地 

えな …


そこから生まれるもの
未来?なんだろう…? 
こんなにも大地の事を教えてくれている、この芸術祭とは?
あまりの深さにくらくらしながら、また会話が始まる。 
そこに暮らし、行き、息、繋げて行くもの。 


えな

えな えな作品名「えな」古郡弘



うぶすな作品名「うぶすな」 
古民家を改造して展示館にしている

うぶすな…産土 

大地と密着している人間という存在を
考え直すような、そんなメッセージ 

大地から学ぶものはなんだろうか 
そのメッセージはどんな言葉だろうか
どんな響きで、わたしたちの心に迫って来るのだろうか
わたしたちは謙虚さを取り戻せるのだろうか


しょっぱなからこんな感じで
様々な場所から放たれるメッセージに五感が反応
自分のエッセンスと化学反応を起こしていた。
感じた事が交差クロスオーバーし、変容していく。。。 

そうだ、この日は、雨と雨の隙間にひらひらと舞う蝶を見た。 
ファインダー越しに、花の蜜を吸う蝶を見つめる。 
蝶、変容。 
全ての出来事がメッセージを持って私たちに語りかけている 




雨もまた、そのメッセージのひとつ。
大地に降り注ぐ雨は、やさしさ。 
やさしさは、男性のもつもの。 
それを受け止める大地、女性。 
そして生まれるものは? 


やさしく降り注ぐ雨に、大地が反応して、生み出される祈り



傍らを歩くやすえさんと、男性性と女性性について語り合った。
いや、今回は『おとこ』について語り合ったことが多かっただろうか。
宿に帰ってニュースを見たら、天皇家に男児出産のニュース。 
二人でそのニュースに反応して
「オトコ、テーマ来てるねえ」なんて話したかな。 

そして、…大地は女性で竜体…、って突然の認識。 
竜の身体から生まれ、それを忘れ果てた人間。。。。。。 



それからの秋の夜長の宿の部屋、ふたり向き合い、瞑想をした。
したら、出るわ出るわ。
数々の作品が次から次へと。
さまざまなインスタレーション、さまざまなビジョンが、越後の場から生まれる。 


---------
産まれる。 
えな。 
交差。 
繋がりそうもないものが繋がって行く
その不思議 
おまけに満月 
そして、月のものまでいらっしゃって
もりだくさん!!!!!!!!!!。。。。


そうだ。 


男女の恋愛はアートだ… 

愛し合う事がアート 




そんな気付きもあった。 
そうなんだよ。
オトコとオンナの愛の形がアートで。
愛がこういう形になっちゃったりしたもの

こんな風に表現されちゃったもの

こんな角度や色になっちゃったもの

こんな隙間やこんな厚みやこんな大きさに

こんな反射こんなぎざぎざこんな広さ重さ

こんなこんなこんなこんな…(リピート100回)






「あっ!!!!!!!!!!」という間に三日目。 
晴天。ピーカン。空が抜けている。青。 
暑い。 
雨から晴れへの転換

見えるものが変化する 陰影が 奥行きが 色が

これも宇宙からの贈り物だ。

今日は南回りのバスツアー。
ボランティアの「こへび隊」のおねいさんがガイドを してくれる。 

この『こへび』という命名の意味が、また泣かせてくれる。
ボランティアということで、現地入りして、地元の人に拒否され。地元に根付く為に、「こへび」という名前にしたいきさつ。 
大地の芸術祭のシンボルマークが、蛇の脱皮しているところだったので、脱皮をする前の蛇、これから 
 「成長」 
していく途中のへび、ということで
 「こへび」 
学生などの、若い人たちが、地元の人との架け橋になった。
涙無くしては語れない苦労があったようだ。 

地元の人に拒否され、それをのりこえて繋げた。 

新潟は、地震の被害もあり、芸術どころではなかったろうに。

都市部の下支えになり、災害にあい、雪に覆われ。 

その人たちを説得して、芸術などというわけのわからないものに繋げた、コヘビ達。
それは、人を繋げ、自然を繋げ、地域を繋げた。 


中には、地元の権力者に厭まれた作品もあった。 
トンボが縦になっている作品。 
それを見た地元の有力者が 
「とんぼは縦に飛ばない。こんな教育に悪いものは、自分が議員になったら取り除く!」と豪語された作品だった。 
それ以来、その作品は 
「『教育に悪いトンボ』として有名になりました」
と、ガイドのコヘビ隊の人が語った。 
うわ〜ん、なんてゆーかもー、ありがとー 
ってわけわかんないけど、ありがとー 
それが、この、大地の芸術祭そのものだっっって 感じた。

意味や、頭で考えたものではない、人の感覚や 
感動に訴えるもの、お金で計る事はもちろん、 
理論や理屈でなく感じるものが、その中にある。 


  ぶらぼー、アミーゴ!!!! 

  宇宙に感謝。 

これ以上無いほどのサプライズな贈り物。
意味なんていらない。 
そこに感動があるだけ。 

それも 

「インスタレーション」

その場所に行って、その臨場感を味あわなければ わからない、アート。 

なんて、素晴らしいものをくれたのだろう。
この、大地の芸術祭は。。。。。。。。。。。。。。



----------------------------- 

温泉地の松之山エリア
作品番号329

廃校をフィールドにして 『人間の不在』をテーマにした
インスタレーションは、 死と生を体感させてくれた 

クリスチャン・ボルタンスキー 
  + 
ジャン・カルマン

「最後の教室」 

明るい日差しの中から、暗い屋内へ入る。
目が慣れず、おぼろな光と何かの匂いが……

これは…??? そうだ「わらの匂い」だ…… 

敷き詰められたわらと、宙に浮かぶいくつもの電球。
扇風機が何台も、誰もいない空間に風を送っている。 

風。沈黙。闇。わらの匂い。
そこは廃校の体育館 
拾い屋内に、ただ、わらの匂いと電球と扇風機。。。。

体育館の奥へ、闇の奥へ足を踏み入れて行くと、階段がある。
一段一段登って行くと、心臓の脈動音が聞こえて来る。 
音に近づくにつれ、どんどん音は大きくなり、しまいには 
闇と脈動音だけになる。 

どくん どくん どくん どくん どくん 

心臓の音の主はいない。 

ただ、闇の中に音だけがある。 


やすえさんが 
「胎児の心音って、こんなだよ」…
ささやくように教えてくれた。 


さらに闇の中を辿って行くと、廊下の壁に
額がずらりと並んでいる。 
額の中は真っ黒で、何も無い。 
闇の中に闇の額。 

そして白い布と冷たい蛍光灯のあかり

人間の不在。 

かつてにぎやかだった学校の死。

   …エピタフ… 

暗闇の中に居ると 
どこまでが自分の闇で 
どこからが外の闇なのか 
その区別がどんどん曖昧になっていく
いつの間にか深く内省している自分に気が付く… 


額の中の闇に目を凝らして 
何かを見ようとしてみると 
そこにあるのは自分の闇だった 

闇は行き止まりで 
もと来た道を辿り 
建物から明るい日差しの外へ

入る時に闇に目がくらんだように
外の光にも目がくらむ

それは生と死の次元の境だった 

その境の向こうの闇は

死の次元

境のこちら側の光は

生の次元


死から生へ循環する命 

その象徴する「何か」に、アートが橋を架けて肉迫し
ここに居るわたしたちに実感をさせてくれる



廊下

DSC00214.JPG














教室 

教室作品名「最後の教室」
クリスチャン・ボルタンスキー +ジャン・カルマン


というわけで、三日目も暮れて行く。 
この晩は、宿の予約を取っておらず、行き当たりばったり、なるようにしかならん!ガイド、スピリット、その他エンジェル、よろしくオネガイ的、なぁ〜んにもしない委ね系宇宙におまかせぶっつけ本番だった(何かの流れに乗っているような感覚があったので、納得して任せてみていたのだ)土曜日の直前というのに、奇跡的に宿が取れた。

松之山温泉に一泊。 

源泉〜〜〜〜♪ 

ゆるゆるになった心を、さらに暖めてもらう。
源泉、自炊の宿(激安) 
宿の人に、空きがあったのは幸運とまで言われて、
ガイドに感謝。目を星にして手を合わせる←少女漫画っぽく 

大地の芸術祭を堪能して、さらに温泉だもん。これ以上の幸せはない。

そのあたりのいきさつは、やすえさんのご先祖さんにも感謝でした。新潟にご縁のあったおじいさまがいらっしゃった宿が、近くにあったようで、「このあたり、このあたり…」という感じで、辿り着いたのでした。

ゆったりまったり、温泉に浸かって、美味しいご飯も食べて。 
近くに、「マリア観音」という、隠れキリシタンが崇めた観音さまもあって、それを拝み、さらに増して行く理解の嵐。 

気付きの中には、すれ違いそうになるものも含みつつ、それはまた新しい気付きを生む「えな」になり、未来へと繋がって行くひとしずくとなり。

様々な出会いと、わかちあうこと、ひらめき、混じり合い、流れて行く先を信じて、今ここに帰って来て、そしてまた思い。 


----------------------------- 

すすきの道
すすきが初秋の風に揺れる様は、何とも言えず優しく 

  …アイシテル… 

とささやいているようで 
いまここに存在していることを、全て受け入れてもらっているような優しさに、おもわずこれにも涙。。。。。 

地元の人の優しさに触れ、道に迷う事の多かった旅も、つつがなく過ぎて行きました。

旅の間は、作品を見て回っているらしい一人旅の息づかいもちらほらと見かけ、それぞれに大地を受け取っているのだな、という、目に見えない繋がりも感じられ、深く感動。

どれもこれも、あるもの全てに感謝を捧げたくなるような、
委ねて行く勇気と信頼を新たにするような 
新潟の旅でした。。。。。。。 


帰宅してから調べてみると、見ていない作品もいっぱい。
常設として残っているものを 
順番に見て行こうと心に決めました。

さて 

再訪する新潟は 

どんな風景を見せてくれるでしょうか …


----------------------------- 
インスタレーション 
(Installation art) 

ある特定の室内や屋外など、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。空間全体が作品であるため、われわれ鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。







こころの花 作品名「こころの花」
アーティストと地域の人が一緒に3万本のビーズの花を作り上げた。
地元の人に愛されている作品。


鏡の家 鏡の家

鏡の家作品名「再構築」行武治美


 作品名「グリーンヴィラ」たほりつこ

山中堤 山中堤作品名「山中堤 スパイラルワーク」戸高千世子

作品名「夢の家」マリーナ・アブラモヴィッチ

 作品名「」炭のオブジェ


 
作品名「白い風…光の茶室」黒田泰蔵

 



 作品名「ソイルライブラリープロジェクト」栗田宏一
ひとつひとつ盛られているのは、土。固有の色を持った様々な土地の土たち


 

 

 

 


作品名「棚田」イリヤ&エミリア・カバコフ(松代農舞台より) 


2009年 旅行記 → 大地の芸術祭09の旅〜1〜 



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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜旅編5〜

出雲の謎 神話の旅 出雲に行って、あれこれ考えたこと



2004年10月1日〜3日

ちょうど一年前の9月29日には、伊勢神宮を歩いていた。
そういう流れと言えばそういう流れなのかもしれない。
など思いつつ( ↑ 言う人に言わせると「!!!」みたいな感じ?)

八雲たつ出雲の国に出かけた

松江経由での出雲入りだったので、前日の晩は、松江市内の『売布(めふ)神社』という神社をお参り。宿から近かったこともあり、なんとはなしに引かれるようにしてお参りに行ったそこは、思いもかけず、祓戸の大神の一柱、「速開都比売=速秋津比売−ハヤアキツヒメ」の社だった。

出雲に行くふた月前、武蔵御岳神社の滝行のおり「大祓詞」(おおはらいののりと)を読む。その詞の中にでてくる祓いの神四柱のうちの一柱が、この速秋津比売。大海原の、多くの潮流が渦巻き合流するところにいる女神で、人の罪ケガレをがぶがぶと飲み込んで、冥界の方まで持っていってくれる。そうだ。

仏縁ならぬ神縁で、ここまで来たのか……?

神社内は綺麗に掃き清められていて、清楚な雰囲気。参拝をしただけで、禊をした後のように気持ちが改まる。
翌日。
この朝は重く垂れ篭める雲。そして雨。
  〜〜ん……晴れなかったか〜…
少し気落ちしたけど(巡礼の雨は吉兆なのだが)とにかく支度。フロントで白いビニ傘を借り、ホテルを出る。
駅前から出ている 市内周遊バス(一回¥100)に乗って、『しんじ湖温泉』駅という駅から一畑電鉄というローカル線で、『大社前』駅までしばしの電車旅。
この「一畑」(いちばた)というネーミングは、沿線の一畑薬師から由来していて、この車両は東京の京王線のもので、車輪は営団地下鉄、座席は小田急ロマンスカー(余生をこの田舎で送っているのだと)などという車掌の説明を聞き、苦笑する。他にも、この沿線には日本一長い名前の駅があるとか、この空模様を指して「出雲らしい天気」と、色々楽しい説明をしてくれる。車内には、国譲りの神話や、大蛇退治の絵が貼ってあり、ローカルな気分を盛り上げていた。

  −八雲たつ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る 其の八重垣を−

重く、二重三重八重に垂れ篭める雲は出雲の証か…
視界のきかない車窓を眺めつつ、思う。

大社前駅に着いた。町は閑散としている。
人気のない町を、観光客とおぼしき十数人と一緒に鳥居へ向かって歩く。
両脇に商店街。土曜日なのに、人がいない。開いていない店もところどころに。
降る雨が淋しさを加える。

で、途中に社務所関係の建物。中には、古の大社の復元模型。高さ48メートルの威容。…模型じゃなく、これを復元したら、さぞや観光の目玉になろうに…友人とそんな会話をしつつ、二の鳥居をくぐる。
鳥居は小振りで、茶色の玉砂利がまっすぐ拝殿まで続く。両脇には黒松(たしか)の並木。
右手に小さなやしろ。近付くと、祓戸の四柱のやしろであることが分かり、もちろんお参り。ここで俗界の垢落とし。
後で調べてみたら、古い形式の残る神社には、入り口にこの四柱を祀ることが多いことが分かった。神の前に進む時に、入り口で禊の意味でお参りする社なのだろう。

そして、いずもおおやしろ−出雲大社−の前へ。
立派。
神道の社を見ていつも思うことは、その簡素なこと。
大した意匠もなく、色も無く、素のままで、美しい
雨に洗われて、静かに座す。
雲は八重に垂れ篭める。
その雲を、神は押し開いて降り立った。神話は何を語っているのだろう。

拝殿に向かって二拝四拍手一拝(出雲は四拍手)手を合わせながら心に思うあれこれ。
そして
【今回の旅では、こんなことしてこよう】第一弾
大社の気のひとかけらを持って帰るためここまで持ってきた荷物。
神様に聞いてみる。
「………ですか?」
体に風を感じた。拝殿を吹き抜けていく。参拝者の服や髪をなびかせて何処かへ。
お礼を言って、拝殿から出る。そして奥の本殿に向かう。右手に手水の水場が。
【今回の旅では、こんなことしてこよう】第二弾。
お水取り。
用意してきたペットボトルに水を汲む。見るとそばに漏斗が。
《?》
後で、他の参拝客がその漏斗で水を汲んでいるのを見た。つまり、ここの水は汲んでもいいらしい。(神社によっては、水を汲んでると怒られるところがあると聞いたので…でも、そういうことがあると教えてくれた人は、手水場でポリタンクに水を汲んでいた。怒られるのも当たり前かも〜笑)
この水は帰宅してから閼伽水(功徳水)としてお供えしてある。
晴れていたら、本殿の庭にまで入れるらしいが、この日は勿論ダメ。
庭の外から参拝。大社造りは、男造りと女造りがあり、屋根に付いた「千木」(ちぎ)という、交差する装飾木の形が違う。内部も少しづつ違うらしいが、これは見れない。
出雲大社は男造り。
その昔には、奈良の大仏殿よりも高い建物だった。
今は半分の高さの24メートル。だれも、古の威容を信じなかった。
文献で残ってはいても、現代人の頭ではその大きさを信じられなかったらしい。
柱の跡が発掘されるまで。
その柱の跡が見つかったおかげで、古の威容が証明された。
出雲大社の宮司が「ざまあみろです」と、答えていた。なかなか正直な宮司さんです。

本殿の右手から一周コースに入る。摂社と末社をひとつづつ参拝していく。
本殿左右に、十九社というやしろがある。旧暦10月「神有月」に、八百万の神々の御旅社となるところ。まだ神様は来ていない(と思う)(気の早い神様がひと柱くらいいるだろうか?)八百万の神たちは神有月に伊佐の浜に迎えられる。
本殿の裏手になるところまで来た。スサノオの社。
参拝。長く目を閉じていると、閃光がはしる。
昨晩の売布神社でも光っていた。パワースポットのしるしか???
そう いえば、ここは知り合いのお坊さまが言っていた「件」の場所かも。などと思いつつ。敷地内にふたつある宝物館のうちの彰古館に入る。大黒さまが仰山陳列してある。

幼い頃から大黒天の像が恐かったけど、やっぱり大人になっても恐い。
すり込みってやつか。それともやはり大黒さまはコワイものなのか。
《マハーカーラは恐い神だし。大黒天、大国主、クベーラ、福の神。出雲の大神、大国主の尊は色々な面をもっていらっしゃる…》
この建物がまたレトロで、照明も暗く、いつの昭和に迷いこんだかって感じで、素敵なんだけど、大黒さまとマッチしすぎで、恐い。(苦笑)
印象的だったのは、ここのスサノオの像。エキゾチックな様相。
まるで阿修羅か二十八部衆。すごくインド的。
白い肌(胡粉?)に、青く逆立った頭髪。不動明王のように睨み付ける目。
神の実像に近付こうとした彫刻家が、作品に集中するあまり、こんな像を作ったのではないだろうか。よくわからないが、これはスサノオだ、と確信。
そして、ぐるりと社の西側まで来る。「ここが大国主の尊の正面」という立て札。
なんでも、社は南向きだけど、中で大神さまは西向きに座っているそうな。ので、本殿の西側でちょうど大神と対面位置になるというわけで、再度参拝。
これで本殿一周コースを終わる。
締めはおみくじだ。

「心をつくして、神に依頼し、自己の聡明に依頼する勿れ。云々〜」

わかっているが。。。なかなか全てをお任せするのは難しい。
そして、ふたつめの宝物館へ。「八雲」の天井画が印象的。
雲の中に 神居や神威を感じるというが。
大社の天井に描かれているというその八つの雲は、五色の瑞雲。
いちばん大きな雲が「心雲」と言って、五色の雲プラス黒い雲が描かれている。
黒い雲の中に「心」と描かれている、という説明文だが、見えない。

  この黒い雲は特別な意味を持っていて、特別な儀式を経て描かれる

と、説明文にある。
なんだろう?特別な黒、それは一体??????
出雲は「陰」、伊勢は「陽」と聞いた。八雲垂れ篭める出雲は確かに陰だ。
黒雲も陰。いちばん大事な儀式を経て描かれる黒雲。
だいたいが、男性的なものは陽の筈なのに、なぜここ出雲は陰なのか。
女性性は陰の筈なのに、日本では陽だ。
そういえば、天気も対照的。伊勢に行ったときは、これ以上ないほど澄んだ秋晴れだった。世界の神話の中で、太陽が女性神なのはとても珍しいと聞く。
目に見える世界と目に見えない世界。
神は、音と共に来る。「おとずれる」。目には見えないが、音によって知る。
神社では太鼓の音と共に神がおとなう。(太鼓のリズムは神社によって違うが、これはお囃子が神輿や山車によって違うのに通じているのかも…)
大国主は、目に見えない世界を支配する。
陰と陽。

  −易に 太極あり。太極両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ず−

「両義」は陰陽。「太極」は闇か?太極はまた仏教の「空」にも通じるような…

出雲は「八」という数字が多い。八雲、やまたの大蛇、八重垣…
謎解きのようになってしまった。
意味はわからないが、とにかく面白い。
宝物を見た後は、御祈祷。やっぱ、御祈祷しなくちゃ。
(ってね、伊勢でもやったから)
社務所で申し込んで、拝殿に。ひとりひとりの氏素性を神官が奏上。神前の供物とお札をいただき、その後、入れなかった本殿の庭に入る。ちょっとだけ間近な本殿を見上げて。帰路に着くと、参道で流鏑馬の神事がっっっ。
間近で見るそれはもー私のミーハー心を超刺激。

  めたくた かっこいい!!!

うるうる気分でシャッターを切る(ばかか)
だって、衣裳はかっこいいし、馬はかっこいいし、弓はかっこいいし(すみません、生来みーはーなもんで)それがずばずば的に当たっていくもんで、勢い目がハートマーク。ああ〜流鏑馬がこんなにかっこいいものだなんて!!!(すみません!!!)
これも、大国主の尊さまが結んでくれた縁に違いない(なんつーしやわせものな…)
というわけで、これがその日の締めになった。ひどくなってきた雨の中、宿に帰る。
次の日。
なんとか雨は止んでいたが。バスで出雲風土の丘というところまで行く。
八重垣神社にお邪魔。縁結びで有名らしく、いかにもな若い女性が何人かお参りしていた。奥には、和紙の上に硬貨を乗せて沈める池があったらしいが、縁結びと程遠い二人連れなわたしと友人は、素通り。
で、埴輪が案内してくれる遊歩道を、神魂(かもす)神社まで歩く。
この神社は、女造りの大社造り。屋根の千木の形が出雲大社と違う。
一応国宝なんだが、人気なし。間近にやしろが見れる。閑散としているけれどかなりいい感じ。祭神はイザナミの尊、なので、女造り。
どこの神社に来ても、風が迎えてくれる。
神魂神社の建物は、出雲大社よりも古い。(神社はしょっちゅう立て替えるので、古い新しいはあまり意味が無いような気もするけど)最古の大社造りということだ。でも、それよりも古いと思われる大社造りの跡が、田和山というところで発見されたらしい。
「たわ」というのは峠のことだし。
古くは、山の頂に近いところに、さらに空に向かって高い建物を建てたということだろうか。やはり、建物の最上階は、神の降臨の場所。いや、宇宙人の降臨の場所ということか。。。飛躍するけど、バベルの塔の最上階にはマルデクという神の降臨する場所があったって話だ(うん、かなり飛躍してるぞ)マルデクの名は、13月の暦でも出てくる。どういうつながりなんだか。

この田和山の遺跡は、弥生前期。弥生時代と共に稲作も始まるが、稲作こそ支配と戦の始まりだったという。縄文には戦いを物語る痕跡は無い。
稲作文化は男性性の始まり?社会と共同体。 縄文はやっぱり女性性か?
また謎々になってしまう。
どちらも自然を崇拝していた筈だけど、スタイルが違う。だけ?
オキナワは縄文だった。まったく、男性性らしきものと出会わなかった。
個人と神が直接つながっていた。
仲介者は存在しない。いや、ノロやユタがいる…
女性が神と人をつなげていた。
この他にも神話の謎はどんどん湧いて出てくる。
国引き神話というのがあって、宍道湖の北の「かんなびぬ(山)」−神名樋野山−茶臼山は、遠くからひっぱってきて今の場所にくっついたという、不思議な神話も。松江には「くにびき町」という町名もあるくらいで、かなり想像力をかきたてられる。
火継ぎ式という儀式もあって、これも面白い。火は霊(ひ)に通じ、ひつぎ、とは、柩、ひつぎは、霊を繋ぐ箱…?とかまあ、色々想像は果てしなく飛んでいって止まらない。。。
まだまだ思いは飛んでいくが、きりが無いので、まとまりもなくひとまずこれにて出雲旅行記のおわりっ。


■おまけ■

最近水の話をやたらに聞く。波動水、超純水、水の記憶、等々。
波動は水に転写すると言われているのに、フローティングタンクというラクゼ−ション器具は、滅多に水の入れ替えをしないというコワイ話を聞いた。数か月に一度入れ替える程度か、もしくは全然入れ替えないという。。。知り合いのお坊さまが定期的にお邪魔して、タンクの中でお清めのお経を読んでいるそうだ。なんてこったい、そんなに浄化の必要のある水に入るなんて人の気がしれん。くわばらくわばら。
それから、水遍歴をしてきた人が、様々な『いい水』というのを山ほど試してきて、行き着いたのは「どれもレベルは同じ」って観点だったらしい………という、その方のお宅は、給水の元のところに浄水設備を付けていて、家のどこから出る水も安全になっていた。で、お風呂に入らせてもらったんだが、まろやかな肌触りで、やわらかいいいお湯だった。
人体の70%以上は水分だから、水の影響を受けない訳がない。
水を介して、転写された恐怖や怒りのネガティブエネルギーが蔓延しているのでは、と、コズミックともちゃんというチャネラーが言っていたが、超納得なお話だった。
へんなまとめだけど、水に感謝。ありがとう(出雲旅行とあまり関係ないけど)




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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜旅編4〜

■高崎の旅−榛名神社詣で■DATE2004/06/04〜05


高崎で墨絵の会の作品展をやった。
場所は、高崎市民ギャラリー。広くて明るくてキレイで使い易い。
その場をひとめ見て思わず「ギャラリーじゃん!」叫ぶ私。(ギャラリーなんだよ)←ぼけ?
ちゃんとした美術館みたいなんです。そんじょそこらの貸しギャラリーとは大違い。
施設として、とっても立派。エレベーターにミュージーアムショップにカフェに映像施設、書籍コーナーもあるし。んで、料金は格安。いや、おそるべし、高崎市。
(たぶん赤字だろーなー)
諸般の事情により、会期は3日。駆け付け3杯。大忙し。
初日はそんなこんなでもたもた飾り付けして、ようやく見られる展示に仕上がったのは2時くらいだったか?ウィークデイにも関わらずちらほらとお客も見えたりして、なかなか雰囲気の良いギャラリーであった。

そして。
場所が高崎ということもあって、近くの(でもない)榛名山という名山に寄ってから帰ろうかということになり。夕日が彼方の山並みに沈むのを眺めつつ、道を行くこととなった。
この夕日が。
日が沈んだあともずっと光の柱が立っていて、なかなか消えない。
うっすらと太陽の名残りの色をとどめる空に、地上から天に向かって光が走る…
初夏のからりとした空気の中、それは不思議な黄昏時だった。
数日前に見た映画「ガイアシンフォニー」の3番の中で、ネイティブアメリカンの語り部が、こういう『不思議さ』を
永遠からの贈り物】と言っていた。
『ハッシャゲニア』…
私達は 永遠を目にしている。

榛名富士に向かう。すでに山は夜の帳。うねる山道を上へ、上へ。
登りきったところに湖。その向こうに見事なピラミッド形の山。
榛名富士は、おむすび形のきれいな山だった。。。
湖の向こうにおむすび山を臨み、思わず、かしわでパンパン(笑)
そうして今度は夜の中を榛名神社へ。
「駐車場から神社までが結構歩くんだよ。500メートルくらい?で、途中に…」
「なに、岩とかがごろごろしてるの?」
「七福神の像があるの」
ふうううん。
駐車場に着いて、鳥居の向こうを見ると漆黒の闇。。。
私は、沖縄の闇、貴船の闇と体験してきて、闇の性格が一様ではないことにようやく気が付き初めてた。ここ、榛名の闇も、榛名だけの顔を持っている。
この日は貴船の時と同じ満月。
闇は同じく、いや、それ以上に濃い。
明かりもない山の中の、神社へ続く参道の石畳。わずかに勾配があって、同道の@氏は、息を切らせている。何も見えないにも関わらず、目の前に何かが色々と見えて、それが、おいでと言っているのか来るなと言っているのか解らない。私は、おいで、と云われているのだと判断して、合掌しつつ先に進んだ。一歩一歩足元を確認しつつ、慎重に。
そして、神社の入り口らしきところに辿り着いたら、門は無情に閉まっていて、入場者を断固として拒否している…@氏が、上を指し示し、あのあたりに巨岩があって、くびれた上にまた岩塊があるんだ、と、説明してくれた。そういえば、来る前に岩がごろごろしてるって思ったんだっけなあ、などと思いつつ、話を聞いた。
岩の上に岩…ミャンマー(?)にある、チョイティーヨ・パゴダみたいなものかな???
などと思いを馳せる。絶妙なバランスで岩の上に岩が乗っているチョイティーヨ・パゴダのイメージは印象的で、自分の作品のネタに使ったことがある。
そんなものが目の前にあるのに、見れないとは…門が開いていても、この闇ではなんとなくしか見えないだろう。
「明日来れるようだったらまた来よう」@氏が言ってくれる。
残念だけど…という訳で榛名の闇を後にする。。。
車に乗る前に、榛名の闇に向かって、全ての命は大地とつながっているんですね、と、そっと囁いてみた。

で。次の日。予定をやりくりしてどうにかこうにか時間を作り、昼間の榛名神社に向かうことができた。(#さん、高崎の%さん、ありがとうございました−LOVE!) 
昼間の榛名富士、昼間の榛名神社。
闇の中の風情とはだいぶ違うけど、川のせせらぎの音と山の空気は同じ。
昨晩拒絶を受けた門を抜けて、境内へ。
見上げると、なるほど、岩がくびれた上にまた岩の塊がそそり立っている。
 これが御神体か…
周りも岩だらけだ。さざれ石の巨大な塊があちこちに聳えている。
お参りしようと、社の前に立ったら、山の神気に打たれたのか、私の左手の産毛が逆立って、わさわさしている。
ほえ〜「なんじゃこりゃ」おもしろ〜っっと思いつつ、参拝。しばらく社に上がって座っていたけど、左手はなおらない。@氏ががしがしこすってくれたら、戻りましたが。
そういうわけで、榛名参拝を終えて、その辺りのハイキングコースを下りながら駐車場まで戻ると。同道の@氏が「なにあれ」と、店の看板らしきものを指して言う。
−無限竜 テレパシー みやもと−とある。
なんじゃらほい。
と、@氏、そのお店から出てきたお婆さまをつかまえて話し掛ける。
30年ほど前に、榛名の巫女となれという御神託を受けてから、無料で色々な人にお告げをしてるという不思議なお婆さまだった。@氏、跪いてすっかり聞く体勢。
お婆さまの口から、@氏の中で色々にシンクロする言葉がでてきたらしく、感極まっている。
私へのお告げもあったんだけど、よく覚えてなくて(すみません)農業とか土に関係することがいいとか言われたような…やっぱり「土」なんだな。ガイアだ。
「みんな大地の上に居る…大地からは離れられないからね」って。
そうなんだよな。人間は土から離れては生きられない。そういうことなんだよ。
それから、榛名は「火」「水」「土」の神様なんだってことも聞いたかな。も〜うろおぼえだけど。私の中ではガイア繋がりで、全部通ってしまっているが。


『ハッシャゲニア』…
大地によって結ばれる命。
最近の私の旅のテーマはこれだ。きっとこれからも、命を教えられる機会が様々にめぐってくるだろうと思う。命は循環し、全ては命で結ばれているということを。ひとつの命が多くの命を支え、死が生を支えているということを。生は死の上に在り、死は生と共にある。
生命は「死」を発明することで、未来を作った、と、フリーマン・ダイソン(量子力学と相対性理論を統合する数式を発見した物理学者)が云う。そして、この世界は命の作り出す多様性に満ちている。多様性こそが美だと。
命のきらめきが世界を作っている。
明日、世界が滅んでも、命は続いていく。
命は終わらない。


◆◆◆
最後に、@氏。いつもいつも運転をおまかせしてすみません。
そして、ありがとう。感謝を込めて。
おかげさまで色々な冒険を楽しんでます。



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