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がらくたうちゅう

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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2008/0?/??

■ ネイティブマインド ■



バイト先のしゃちょーと、引っ越しの話から大安仏滅の話になり、
どういうわけか、月の満ち引きの話へ
動物は月の満ち引きをどこに居ても感じる、といういうことから
海の話になり、社長はサーファーなので、そういう自然との関わりを 
身体で感じることがあるんじゃないですかー? 
という風にして話は流れ流れて、アボリジニの話になった。

アボリジニは、何日もかけて荒野を横断する時に、何一つ持たないで出かけるという。
その時その時に、まるで用意してあったかのように水や食料が手に入る、というのを本を読んだ。
「アボリジニの能力…それは、シンクロニシティを引き寄せる力、みたいですね、宇宙のサイクルを引き寄せる力とでも言うんでしょうか。でも、しゃちょーも半端じゃ無いくらいシンクロ起こしますよねえ」
なんて雑談した。 

実際、社長のシンクロニシティは日常茶飯事で、毎日のように、信号待ちしてたら知り合いに会った、夢を見たらその人から連絡があった、エレベーターに乗り合わせた人が旧知の人だった、映画館で隣に座った人が云々〜そんな話ばかり。 

霊感とか感応力って、遺伝するみたいですけど、御両親とか、どうだったんですか?って聞いてみた。
そしたら、親はよく知らないけど、妹は幽霊をいっぱい見ている、という。 
「先日サーフィンの帰りに空を見たら、地震雲が出てたので、東京に電話したら、ほら、このあいだの地震…あったでしょう?あれの時だったんだ。地震雲ってね、なんか普通の雲と違うんだよ。見ると分かるんだ。飛行機雲とも違うんだよ」という。 
目で見るものと違うものを見る力って、人間にはあるんだよねーっなんて話になった。
「アフリカに行った時、現地の案内人が見つけるよりも早く、遠くの方に象の群れを見つけたんだ。
あれは、『目視以外の感覚』で見ていたんだなあ〜」なんてことも言っていた。(シックスセンスかいな)
そんなことから、アボリジニの話に流れていったんだったか。

そんな社長は、ヒッピームーブメントのお尻にひっかかる世代の人だ。 
精神世界系の本もよく読んでいるらしい。 

で、雑談も一段落、仕事の打ち合わせを終えて机に戻ったら、
「この本差し上げます」のメモ書きと共に2册の本が置いてあった。
社長だ。 
『ネイティブ マインド』
『月の魔力』 
う〜む。このノリ、すばらしい。 

ネイティブマインド…アメリカのネイティブピープルだけではない、我々の住むアジアの東はずれの島国のネイティブマインドをも呼び覚ますような本。それも、忘れ去られた縄文の記憶。
聖なる場所や、聖なる言葉、日常が聖なるものだった日々の記憶。 
ネイティブアメリカン。アボリジニ。バリ島。沖縄。神社。ネイティブスピリット。
私の中に一続きの流れとして見えるもの。 

富岡八幡宮にガムランの奉納をするのが、何か、当たり前というか、ごく自然なことのように受け止められるのは、このネイティブスピリットで繋がっているから、みたいな気がする。
大地と自然に繋がり、人間はそのサイクルそのものであり、生活が聖なるもの、という考え。

環・太平洋に分布するネイティブモンゴロイドピープルに 共通する感覚があって
(アボリジニ、北米南米先住民、日本人、 オセアニアの人々、その他) 
「自然の円環につらなる人間ひとりひとりが神秘で聖なるもの」 
その暮らしも生活も全てが聖なるものである、という 考え方。 

すべてが繋がり合っていて、どれもこれもおろそかに 出来ない。 
毎日、何を考えて何をして暮らすかが、とても重要な。 

かといって、かまえる必要はないが、自分と云う神秘を 
おろそかにしない。(他の神秘にも尊敬を払うこと) 

北米先住民の長老達が口を酸っぱくして云うことは 
「他の人々の信仰のあらわしかたを敬え」 
だそうだ。 

しみるなあ。



青松寺(禅寺) で開かれた『仏教ルネサンス塾』

テーマは、『仏さまはどこにおわすか』 

日本人独特の宗教感の中に、魂=仏とするものがあって、
その仏たるや、山川草木のあらゆる場所に宿っている、というような
仏教と似て非なるその宗教感覚を、
宗教人類学者の佐々木宏幹が解いていった。

その独特の宗教感は…まさしくネイティブモンゴロイドの中に 共通する
『円環』(一切のものは相互依存の関係にある)の感覚と同じ… 
仏教で云ったら縁起説。 

全ての事物は切れることなく一つながりに繋がっている、というもの。
ネイティブアメリカンの云う『グレートスピリット』はあらゆるものの中に息づいている。

この島国の人の言葉を借りるなら、山川草木の中に。 

マザーアースが全てを繋いでいる。 

その聖なるものの感覚を、失わずに守り続けてきた、
ネイティブアメリカンの智恵を思った。 
この島国からは消えて久しい、大地との絆を守ってきた人々の智恵。

死も、自然のサイクルと捉えるポジティブな感覚。

かつて、この島国のあちこちに息づいていた筈の感覚。 
  スピリットは死なない。 
  いつでも自分の隣に、周りに、一緒に息づいている
という感覚。
あらゆるスピリットに取り巻かれているわたしたち。

というような…


***********************************************


人間は、進化や進歩や前進することを「よいこと」と、判断、分別する。
禅を少しでもかじると、この分別こそがクセ者と解るが、
分別の世界にどっぷり浸かりきっていると、そこのところが全然見えなくなる。

「よいもの」があれば、必然「よくないもの」が出てくる。
これが分離だ。ひとつのものが、ふたつのものに分かれる。 
「あるがまま」のものが、「よい」と「よくない」ものに分かれる。

あるがままであるのを、人間が「言葉」で「決め」、「分断」して、「概念化」させる。
そこは『見えない檻の中』 
本当は、進化など、この世のどこにもない。
くりかえしがあるだけ。
くりかえし、くりかえし、くりかえし、くりかえす。

ネイティブモンゴロイドの教えが浮かぶ。 
草木や動物−森の熊、草原のオオカミ、空の鳥、牛、猫、馬、カエル、昆虫、蛇からクジラからネズミまで−そして、空に海、川や山、全てがマザーアースのこども、つながり合った兄弟姉妹。そこには、進化なんてものの考え方が無い。 
あるがまま、そのまま、ありのままに在るだけ。

もっと辿れば、科学者のカール・セーガンが云うように、地球上のあらゆる物質、岩の中の硅素、大気中の酸素、体の中の炭素、金庫の金、兵器庫のウランも、何千億光年の彼方で、何千億年も前に作られた、星の物質から生まれている、と。 
だから、私たちは全て、星の子供であると。

どこからこんなに、皆が皆、分離の世界に突っ走ってしまったのだろう?
精神世界の云う、天使や悪魔、生や死、闇と光は、ひとつのもの。 
憎しみは愛の中に、悲しみは喜びの中に、痛みは癒しの中に。 
そのままでいい、そのまま、あるがまま、痛みやストレスを抱えたままの人間の姿でいい。
自分が、ただ自分であるという喜び。 
自分というものが、実は世界の全てとつながっているのだ、という喜び。

そんなことを考えつつ。 

雨に打たれながら、駅まで歩く 
冬の寒い季節以外は、結構雨の中を歩くのは好きだ。

雨に打たれながら歩いていると、 
地球と会話しているような気分になる。

たまには、雨に打たれてみるといいよ。 
地球の息吹を感じられるから。 
都会でも、雨は降るから。








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