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「勇気と信頼」のこと

■ 勇気と信頼 ■ DATE 07/02/09


OLD SPIRITでは、おみくじのメッセージを送る時
「勇気と信頼と共に」と、しめくくる。


勇気と信頼については、自分の中での意味はハッキリしているけれど、
あまりそのことについて、人に説明したことはない。。。

勇気と信頼。



いつのころからか、なにかにつけこの言葉が浮かんで来ていた。
それは、内在するサムシンググレートからの贈り物であったかもしれない。


人は、自分自身に向き合う時に、とても大きな勇気がいる。

見たくない、内側にざわめいているさまざまな感情。

怒りや悲しみ苦しみ孤独感。。。

それらを観る事に、どれだけの勇気がいることか。



その「判断」こそが心を苦しませているのでは…?
  これは、自分の中に在ってはならない感情
  いけないこと、許せないもの…
自分で自分をジャッジする。自己否定の根っこ。
自分の根にある感情に気づかず日々を過ごしてしまって、傷が肥大化してしまう。
表面的な『否定』に捕われ、それをまた、否定する。
否定的なものはいけない、というジャッジ。否定に否定を上塗りしていく。
自己否定のジャッジは果てしない。
そのひとつひとつに光を当てて「観る」ことは、本当に勇気のいる事。

最初は、判断を捨てる事に焦点を当てて、色々考え込んだ時期があった。
そこで、『禅』の、「無分別智」ということを知り。
全ての事柄を「ジャッジ」分別しない。

  あってあるがごとし、ありのまま
それを身に染み込ませて行く過程を経て。

少しずつ、自己ジャッジ、分別否定の世界から身を放していくようにした。
でも、人間の中には、澱のように、さまざまな感情が癒されずに残っているのも事実で。
そうしたことから、ひとつひとつ感情を癒していくよりも、今観じていることにスポットを当て、それ自体として受け止めるようにした。
分別して分離してして、切り刻まれた自分というものを、「今」、という瞬間に
統合していこうという作業。



なによりも、今、から離れない。

それをするにの、一番必要だったのが、

「勇気と信頼」だった。

自分の中に踏み込む、踏み込んで踏み込んで、底の底まで自分を観じてみる。



そうすると…

自分というものは存在していないという事に、
仏教の教える「無自性」に気づく。


自分というものは、在って無きもの。
でも、無いわけではない。
でも、在る訳ではない。



知る、ということの奥の奥のそのまた奥を掘り起こすと、
そこにあるのは光なんだ…と。

まだ私は到底そのレベルにはいないけど。
でも、その微細なレベルにあるのが、光なのではないだろうか、ということを
なんとなく感じる。


古来の、行者たちは、このレベルに達そうと、さまざまに行をしてきたと思う。
でも、今の時代に、そんな行は不要に思われる。。。

ただ、自分から逃げずにそこに踏みとどまること。


そして、それを微細に微細に細かくしていくこと。


最終的に、魂の自由を得る、自由を悟ることが
物質次元に居る意味だとも思っていて。。。。。

いや、いつの時、どの場所、どの次元でも
いつでも、魂は自由だった。

ただ、みなそのことを忘れている。
今という時、魂の自由なことを
ただ
普通にわかる時が来てるだけなのではなかろうか…




星形二重正四面体♪


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