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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2005/05

■ 至上最高のエロス 2005/5 ■





なんてね。 どう思う?「エロス」という言葉を。

人それぞれ、エロスを感じる場所は違うから、一概にこれとは
言えないのですが。
ある日、Ya-Weyさんとエロス大激論になり(ウソです)
『命』そのものがエロスである、という結論に達した。 

『命』が変化する時、人は「悦楽」を感じる。

「法悦」って言葉があるが、あれってつまり、宗教で得る悦楽だろう、てな結論にまでなり。
宗教で得られる快感も、性的に得られる快感も同じなのか…(上も下も同じってことよ) 
そして、宗教的禁忌があればあるだけ、その快感は深まるのではないだろうか 
などというすごい話になり。 
宗教が作る「罪悪感」や、「罰」も、快感を得る道具か、てなもんで。 

そういや、私は「ダヴィンチコード」の修道僧シラスに、
エロを感じました。 
どうやら、そんなアブない事を考えるのは アタシくらいのようだが。
いやいや、きっとコミケに行ったら、シラスのやおい本が 
並んでいるに違い無いと確信する私だったり。 
(「やおい」の意味を知ってる人?ま、もちろん知っている人は知っているだろう)

禁欲という言葉の影に隠れた快感、悦楽があるのは、ご存じだろう。
僧衣や修道服、喪服なんてのは、一番欲望をかきたてるものだ。
それが、禁じられれば禁じられる程、エロ〜〜〜いッッッみたいな(笑)

そんなこんなで、夜は更けたのであった。 

確信の部分はタナトス=死の欲望=にある。
エロスとタナトスは双児神。 
でもこれは危なすぎて書けない。。。
Ya-Weyさんが話してくれたことで印象的だったのは、「エクスタシー」が
「小さな死」を意味すると云うこと。
死は変容。
変容は快感に通じている
タナトスとは…

で、またもや造語。
エロエロって、電車の中では話しにくいからって、宇宙語を付けた。
エロス=『ヘケ』
これで、公衆の面前でもエロスの話ができるぞっっっと。(するなってか?)


そんなセッションのあった後、しいらショップという演劇のワークショップに参加
ショップのコピーは『表現者の為の即興表現』 

私も表現者のハシクレだが、ワークのスタンスの取り方、間合いがちぐはぐで。
いまいち乗り切れなかったのだが、 かなり面白い発見もあった。 

演劇をエネルギーという方向から見ること。

演じる者同士のエネルギーの交流。

2人ペアで、お互いで鏡になり動きを真似ていた時。

   うわあああ〜っキタ〜〜〜〜ッッッッ 

 なにこれ〜〜〜っ(爆)

すごいすごい。面白い。エネルギーの交流がばしばしっっと。
目に見えない流れる何かがある。それが触れそうな感覚。 
そうか。演劇って、エネルギーの交流なんだ。 
演技者同士の、そして、観客との。 
だから一期一会なのか。
演劇が、その一瞬だけの『場』が作り上げる エネルギーなのは知って居たけど。
 そうかそうか。そうだった…
これも云うなれば『悦楽』ヘケ。

「観客」と「演技者」が 

『感じ合う』エロス。 

「演技者」と「演技者」が感じ合うエロス。 

うわ〜すげ〜 

ふわれうけれ。っっというわけで。

ショップの終った後に延々とセッション続きのエロスの話になり申し候。

全て人間に起こる事柄はみなエロスで説明できてしまうという結論に達する。
達するって、っって、達観した、って感じ? 
エロスに達観。 
うへ〜なんだそりゃ。 

で、節操無しのわたしは、闇鍋やおいエロスだったことが判明。
そっかそっか、だから拙者はミーハーだったのだ。 
誰でも何でもいいのだ。 
なああんでもおっけいなのは其の所為かッッッッ(おお〜悟り!ワハハハ)
いや〜ん。もう。ヘケなんだからぁ〜

で、スピリチュアリえろ、ってのもある。

要するに上から来るエネルギーの快感に酔うのと、

下の性的エネルギーに酔うのは同じだようっって話で、あなた。

上からのものだけは、高尚だなんてバカなことをお云いでない。
上からのエネルギーだけを許しまくってる方がいたら、
それはエネルギー風俗だぞ。
(あ、云っちゃった。日記では匂わせただけだったのに…)
過激ですんませんねえ。
高尚な感覚がないもんでさ。






◆ ◆ ◆

= OLD SPIRIT 企画 =
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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2005/07/08

■ KIN86 白い銀河の世界の橋渡し ■



=グレゴリオ暦2005年7月8日金曜日 白い銀河の橋渡しの日=

表装の教室に行ったら、今日は地下鉄の警備がすごかったという話になった。何ですか?それは?と、聞いたら、え、知らないの、昨日ロンドンでテロがあったのよ、テレビはそのことばっかりやっていたのに、知らないの?と、云われ…
昨日?日本時間で午後1時くらい?
  …

そうか。全然知らなかったし、昨日は帰宅してからテレビも見なかった、今日も出かける前はテレビをつけなかった。
私って世捨て人っぽいでしょうかあ〜みたいな感じで会話を終らせた。

その後、地下鉄に乗った。
別に特別警戒してるようにも思えなかった。
永田町も乗り換え駅で通ったけど、別にこれといった警戒の声は聞かなかった。平和だ。極めて。

先日、バイト先の社長に一説ぶった内容を思い出した。
彼は何やら、インターネットの無秩序状態が、犯罪や、行き過ぎた精神状態を助長していてこわいよなーっと、思うそうだ。(集団自殺や、犯罪サイト、アダルト系サイトの事を云っていたらしい)

インターネットは、それ自体が人間の潜在意識をそのまま垂れ流したような世界だから、人間のネガティブな面がそのまま出てきてもおかしくないですよ、しゃちょー、みたいな話をした。
人間の奥底の奥底まで、インターネットがさらけだしている。 
およそ、人間の醜い(あえて醜いというけど)面の汚濁が、これでもかと溢れかえっている。
人間の内面に抱えているものが、如何にネガティブなエネルギーを孕んでいるのか、ネットを見ていれば一目瞭然だよ。
性善説なんか粉々だ。

しゃちょーも、性善説にゃら性悪説にゃらとこぼしていた。
人間の本性は悪か、みたいな。 
違う。 
本来善とか悪とかではなくて、そこにそれ、表現されているもの自体が人間なのだ。いいもわるいも無く、全部含めて、人間なんだよ。

世界中に起きている悲惨な出来事があるのなら、それは、人間の中にあるネガティブなエネルギーが出てきているのにすぎないのだ。
テロが起きたら、人間の内側にあるダークサイドが出てきているだけなのだ。誰でも内なる闇を持っているんだから。
あれが悪い、これが悪いと判断する前に、自分の内側を見てみるといい。
そこにある闇を見てみるといい。
逃げ隠れせずに、闇を見据えてみるといい。

外側に起きていることも、内側に起きていることも一緒なんだから。

そこから逃げ続ける限り、人間は潜在意識を売り渡したままになってしまう。
自分の闇を観なければ、自分自身を取り戻せない。
自分自身を、自分の手に、取り戻せない。

おもてに出ている現象と、うらにある人間の心はシンクロしている。

悲惨なテロを、自分が起こしている、なんて思う人はいないだろうな。
あれは、悪人のアラブ人がやったんだ、なんてひどいやつらだ… 
それそれ、それとおなじ闇を自分が抱えているんだよ。

自分の闇を見るのは怖い。
誰でもそうだけど。 
自分の闇を認めて、受け入れる。
逃げない。 
受け入れることで、何かが変わる。
絶対に。 
確信して思う。

今日はそんなことを考えた、橋渡しの日だった。


知り合いの坊主が(尊敬してない僧侶なので、坊主と呼ぶ)
華厳経の「帝釈網」=インドラネットをよく引き合いに出してインターネットを語る。
帝釈天の住まう宮殿(だっけなあ?)の周りに、網があって、その編み目ひとつひとつに宝珠(仏教での至上の宝のシンボル)が付いていて、一つの宝珠が鳴ると、網を伝って、他の宝珠も次々と鳴っていく(だったかな〜〜〜適当)、そのようにして、仏の教えが広まっていく、という例えだった。 
インターネットもそのように人間のひとりひとりが荘厳に鳴り響く音のたわむれになっていく……
みたいな感じなんだろうか???

   一人の悟りが、宇宙全体の悟りになっていく、という寓意。
  一人の闇は、宇宙全体の闇であり、一人の光は宇宙全体の光である…

知り合いのifさんも、インターネットでやり取りしたことは、現実化しやすい、
というような話しをしていた。

  インターネットは、人間の潜在意識を映し出す鏡だ。

気付きはじめている人もいるだろう 
この世界の狂気は、人間の内なる狂気だということに。 

------------------

ドイツの映画監督ヘルツウォークの『アギーレ・神々の黄昏れ』のシーンが浮かぶ。

スペインのエルドラド隊が黄金を求めて、川を遡っていると、川岸の大きな木のてっぺんに船が引っ掛かっている。。。(かなりシュールな 光景)

狂気が進行していくと、異常なことも異常に思えなくなる、ということの象徴的シーン。
木の上に船があるのを見ても、誰も変だと思わない。異常なことを異常と思わないところが、今の時代の狂気とそっくり。
ただ、そこで、木のてっぺんに船があるのはおかしい…と、気が付けばいいだけなのが。。。
そのエルドラド探索隊の人々には、すでにそういう判断能力が失われていて、ひたすら川を行く事だけが「目的」になり、訳が解らなくなっているのだった。(私の記憶では確か…) 


最終的には、何が異常で何が正常なのか
それはオノレの内側の判断基準しかないというのも事実?
狂気を正常とすれば、正常なんだろうな。
でも?…

でも。


ハダカの王様にならないようにしたいもんだ。
そして最終的には、「王様はハダカ」と指摘されても、「自らハダカを選んでいるのだ」と胸を張れればいいのかもね。。。。
自ら選び、自ら演じている。そのことを認識すればいいだけのこと。
世界はかように単純なものかもしれない。もしかして。


*******************************
橋渡しといえば、そのようなもの…『受け取る』ということが、最近感覚として腑に落ちてきている。
潜在意識からの働きかけか、あの世からのメッセージか、見えぬ存在からのアプローチか
そういう、裏の世界からの『意図』は、あらゆるところにサインを残している。 
あの世とこの世を繋ぐ橋渡しのサイン。
気が付いてみれば、あちらもこちらもサインだらけではないか。
サイン探し、意図探しは楽しいと思えるようになってきた。
その奥底を探れば『真我』の意図さえも見えてくるに違い無い… 



◆ ◆ ◆


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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2004/02/15

■日々想ふまま徒然日記 2■

さる賢者の言うには
人はけっして<ユガ(時代)の変わる日>を見ることはなく
ただそれが過ぎ去ったときにそれを知るだけであるという。
何故ならその日は
他のいかなる日とも同じように明け
同じように世界の歴史を繰り返しつつ過ぎてゆくからである
=「光の王」ロジャー・ゼラズニイ

 
何かが始まる時は、それと知らず行なっているのかもしれない…
そして後になって、あれが始まりだったのか…と気付くもんだ、人間てさ…


◆妄想的瞑想−DATE 04/2/15日
[CATALYST]=触媒=という人に、初の個人セッションを受けた。
スピリチュアル、という世界に鼻を突っ込んで初めてのセッション。どきどき。

後になって気が付いたけど、自分のかなり深い処を揺り動かされてた。。。触媒とはよく付けたもんだ。。。まあ、彼に言わせると、私の霊古という屋号も、かなり自分の存在に近い名前だそうだが。名前の事は以前にも言われたことがあったので、納得感ふかまり〜の、の…

セッション前に色々な話をした内容も、その時の私にはとても必要な事だった。名前のことももちろん、他にも背中を押してもらうようなことや、確認をしたこと…様々…いろいろ…てんこもり!

必要なことは全て「ここ」に入っているということを
ゆだねることを自分に宣言するというか、自分を信頼すること、その大切さを
そろそろ自分でも分かって来てたけど、やっぱりそうか、って感じ。
日常の悩みごと等が、どんどん些細なことになっていくだろう とも言われたなあ。

−そうかもしれない−
ひとつひとつの言葉にすごく納得してる自分がいた。

セッションは、ボディワークで気の流れを十分に良くしてから、誘導瞑想というかたち。何にしても、とにかく気を流さないとだめなんだって言うのが(今頃)分かった(某まんだらやでも、体を弛めることが肝要、とか言ってさんざんあれこれ試していたんだけどね)瞑想に深く入っていくために絶対必要なんだなあ〜(ヨガも瞑想の準備で体を解すしね)
で、体を診てもらったら、腎臓と子宮の悪いのが発覚。しかし自覚症状無し。某いねむりやのねえさん曰く「未病ってことね」

****** こんな瞑想でした ******
知らない場所。長い階段がずっと上まで続いている。上がり切ったところに大きなトンネル。奥まで続いていて、どんずまりまで行くと、円鏡が祭ってある。(神道の鏡みたいの)
一番印象に残ったのは、おとこのことおんなのこがほの暗く淡いあかりの中で向かい合ってなぞなぞ遊びをしているシーン。小さなオレンジ色の珠をおもちゃにして遊んでいた。どんななぞなぞか聞いたけど、抽象的でよくわからんの。生と死みたいな。
おんなのこが「楽しいから遊んでる」って言ったのと、「循環」っていう言葉が頭に残る。その後は滝が出てきて、(古い滝らしい)水に触ったら(水のような抵抗はなくて、どっちかっていうと光に触れたみたいな感触)水の中に入って、川に流れて海になる。
大海原を上から見下ろして、太陽が水面に反射してきらめいているのを上空から見てるシーンでおしまい。
********************
瞑想から出ると、現実がはかないものになってしまった様な、ちょっとせつないような寂しいような感じがした。よく覚えてないけど。たそがれの淡い光のせいかもしれない…淡々とした時間。淡々とした空間があるばかり。そんなような。
で、いきなり現実だったのは、お薦めの手打ちラーメンのお店。ぜひ食べて帰ってみてというので、寄ってみた。なにやら、お茶事の後の様子の着物の女性の集団が貸切りのように居て、わやわやにぎやか。ど迫力。
(もしや私の茶道仲間も、集まるとこんな感じなのかもしれない…ぜったいそう!などとおもふ)
なんか居づらい雰囲気。でも、ラーメンはしっかり食べて帰った。旨かった。

かんそう。男性のボディワークもたまにはいいね!やっぱ、陰陽、ともにあった方がバランスも良いかも〜なんて思いました〜
男性の気も必要なんだよな、やっぱ。つくづく。
こういう機会は実に貴重でした。(武田さんありがとう)
ワーク以外にも色々なヒントをもらったし、感じるところも山ほどあり。

この一週間後に私は沖縄に行っているってところがまた、ぐっとタイミングだったのかもしれぬ。
沖縄では、自分の中の女性性=自然の一部としての女性と対峙せざるをえなかった。恐いくらいの体験。そんな展開に続くとは思いもせずに日は暮れて〜










現実と妄想−DATE 04/2/19木
先日のセッションの後遺症か、会社でぼーっとしてたら、何が現実なのか分からなくなってきた。

日々あること、目の前の現実と妄想。
暮らしと内的世界。
窓の外の町並み、通行人を見るともなしに見る。
皆それぞれの日常を過ごし
泣き、笑い、喜び、悲しんで
一生を終えていく。
終えたら終えたで、生々流転また次の人生が巡ってくる。
永遠のくり返しなのか。

人の営みのなんと逞しく続いていくことか。

人間は一時も前へ進む歩みを止めることがない。

常に大地の上を歩き、天の恵みを受け止め

自分の弱さと戦いながら、生きてる。

そんなことを考えてたら、涙が出てきた。

何が起こるにしても、どんな悲しいめや辛いめにあっても、人間は生きていく。
生命を伝え、思いを伝えて。






◆隠されたモノ−DATE 04/2/29日
沖縄の続きの展開がスピコンであった。この時の私の命題は「沖縄で買った石で魂の喜ぶことをする」
しかし、その「魂が喜ぶこと」がまったく分からん!
で、ご縁に誘われるままスリーインワンというセッションを受ける。私の魂の喜ぶこと探し。で、色々探っていったら、こどもの頃に父との関わりで持ってしまったらしいココロの傷があったらく。これを外してもらったら、引きつるようにあった左肩の痛みが引いて、うそみたい。
そして、翌日、知り合いの大魔女宅でオショータロットを引く。続きの続きの展開っていうかさ、なんつうか、分かったよ、自分の檻が。これか、これかいなって感じでさ。過去世から引きずってることが盛り盛り積もってる感じ(ほぼひとりごと)
人の心は複雑怪奇「私は貴方を愛しているのです」ってそのシンプルな一言が伝えられないのね、要するに(おい、わけわかんねーぞ)
こうやって、いつの時代にも、人間は己れの中の人間である部分と対峙して葛藤を繰り返してきたのよねぇぇ
どんなに科学が進歩しても、人間が悩むのは、身内の事だし、経済のことだし、人間関係の様々なことがら(>惑星ソラリス)
でも、それを一歩踏み出さなければいけない時代に来ているというのも事実かもしれない。ですね。ひとりごとおわり。



◆目に見えない檻の話−DATE 04/3/3水
日曜日、精神世界のイベント、スピリチュアリコンベンションに参加。
一年前はこんなことをしているとは露とも思わない展開で、今私は人のエネルギーの形を描いている。おまけに今回は、形のリーディングまで始めた。
精神世界は、60年代のヒッピームーブメントの尻尾を抱えている部分があって(一部だが)、ネイティブアメリカンやチベット仏教をひっぱってきて、それなりに現代風に料理アレンジして出していたりして興味を引く。
会場では、セージに鷹の羽、シヴァのヤントラがあったり、天使が羽を広げていたり、マヤの13月の暦の講演があったり、カラーセラピー、アロマテラピー、タロットにパワーストーン怪し気なのやら、明るいのやら様々。
そんな一日を過ごした翌日も、オショー(ラジニーシ)タロットを日長一日ずっとやっていたら、頭のたがが外れたらしく、朦朧となって、出先で傘を置き忘れる。今、そうして頭の中にあること。それは、見えない檻のことだ。
人間がコントロールされ、家畜のように見えない檻の中に閉じ込められているなんて話を、誰が信じるのだろうか。
日々の暮らしの中に神秘も無く、祈りも無く、目前の世界に疑問を持たない人の誰が?
精神世界に関わる人なら少しは感じるのだろうか?

私も見えない檻に囲まれている。
自分で自分を縛っている。社会の呪縛もある。
人間関係の呪縛もある。言葉の呪縛もメディアの呪縛も感じる。
そして、そこから出ることは恐怖である、という呪縛も持っている。
外は、怖いところである、自分を変えるのは怖いことである、等々。
人間はもともとは神と肩を並べるほど自由だった、などと誰が信じるんだろうか。



教えてほしい、自分を知っている人がどれ程存在するのか。





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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2006/06/15

【  I n f i n i t e   F r u i t  】DATE2006/06/15












 











2006年5月30日から
6月5日まで
友人の(HN)Ya-Weyさんと二人展をした。

その名も Infinite♡Fruit 〜無限の果実〜


変化変更は世の常。。。。
始まりは3人展だったけれど2人展に(←3人目は見えない存在になり)
タイトルも「ソラリスコード」から 「インフィニティフルーツ」に。 
フルーツは子宮で、 「宇宙の霊感」孕んでいる 

その打ち合わせの前後に、私はある瑪瑙を手に入れた。
透明さと、そこからじんわり深い色に変化していく瑪瑙の有機的色あいは、まるで肉の果実のようだった。

肉の果実。

それは子宮。

宇宙を孕む永遠の果実…

何が待つのか、この作品展。何かの予感を孕む果実。
果実はどんな風に熟し、ぱっかり割れた果肉の中からは
どんな種が???


さて、作品展の搬入の日。
私は作品にタイトルをつけていない。
なんとはなしに、思いつく単語をただカードに印字して持って行った。


それを見た友Ya-Weyさんが、カードを一枚一枚選り分けだした。

 「?????」何が始まったのだろう?

どうやら、後付けタイトルで、この作品にはこのタイトル、という風に
選り分けているらしい。彼女本人は選り分けている自覚がなくやっている。
彼女は、行動不明なまま何かをやりだす事が多い。
ナチュラルなチャネラーなのだ。 

そうして、作品にタイトルを付けると、作品にタイトルが「添う」感じがする。
タイトルを付けた作品が、タイトルらしく変容していく。 
オモシロイ。 
作品もその気になってくるようだ。
タイトルを二つ付けた作品もあった。なんでもアリだ。
生きている作品の鼓動を感じた。
タイトルに添って、脈動を始める作品。。。。無限の果実の脈動。


この作品展の直前に、わたしとYa-Weyさんは「普通」ということで盛り上がっていた。『軽:重』でいくと、「いとも普通」ということは、「いとも軽い」ということ。 「普通」であるということは、軽いということだ!という風に。 

重々しくない。エロもハダカも軽い。
 
普通にあることを、みんなが重くしているだけなのだと。

宇宙も当たり前に普通にありのままにそこにあるではないか。 
エロも普通に皆が得ろ。 
普通、日常って、軽いのだ… あるがままって、軽いのだ…
「異常に凄い」って、実は「異常に普通」のことかもしれない。
異常に普通だから、すごいのかもなどなど、ふたりで盛り上がりまくる。
そうして、動きというものは軽く、思考は重いのだな、という話になり。

「けれど、動きがあって、思考が後からついていくと、
 重い筈の思考が軽くなるね」<Y
「ああ、そうか…」<L

すでに動いているものに、思考が沿う。
ああ、この、添う、と云うのがたまらないかもしれない。。。

  …器に沿う…体に添う… 

『沿う』は「基準となるものに従う」で

『添う』は「離れずにいる」 だそうだ
 
この、「添う」というとこにかなりぐっと来た。
思考が寄り添う者を得て、喜んでいる感じだ。
そうそう。添う沿う。 
そうそう、そうそう、そうそう…

そうそうという相槌というのは、添うということなんだ。きっと。

以前、知り合いが、倍音の達人に聞いた話とも かぶる。
思考を手放さずに、音を追う。 後追い思考。

そんなことを、ワイワイ騒いでいた後に、この、タイトルが作品に添う、というのが来たわけだ。
まさしく、後追い思考。後付け意味。

そして、軽々と舞うような。 。。。



そうしてギャラリーに通う毎日が始まり。
いろいろな人が来た
友人知人、通りすがりの人、さまざま。

ギャラリーのある本郷三丁目界隈は、濃厚だった。 
(東大がマニアの集まりだから、濃厚になるのだ。きっと)
飲食店は、学生街ということもあるのか、安くておいしいお店が多い(ような気がする)エスニック料理をメインに、毎日夕方になると、ギャラリーを出て、食事に行く。 Ya-Weyさんと、お客に来た友人かたがたと、毎日のように飲んで食べて話してカードしたりリーディングしたりチャネったり。
いったい、何の会なのかと思うくらい、なんでもありな作品展になった。

話も濃厚。 

あっちゃこっちゃに、話題が飛びまくり。
宇宙のことや、東大の標本のことや、琥珀のことや(ギャラリーの二階が骨董品店で、琥珀も置いている) キリストの話(スピの云う「キリスト意識」ってヤツ)、聖母の話、ガネーシャのこと(水曜日ってガネーシャの日なんだそうだ。来たお客さんが教えてくれた) ベジタリアンのことから食育の話になって、粘膜の話になって…

「粘膜って字は『米に占う』なのか。わけがわからないよね」 
という、話していてもなんのことやらわけのわからない話や (そういえば、米が異なれば糞だ)東大小石川植物園にあった、コンクリートをマタに抱え込んだ巨木(←東京にしては巨木)を見て私とYa-Weyさんがウケまくった話=「わかんないことがあったら、マタに挟んでしまえ!」という…

脈絡無く、とめどなく流れていく話(←マタが考えてくれるだろう的

東大の陳列館にあった貝の標本を見た時には、「これって『どーだっていいじゃん』な形してるよね」「ほんとだー」 

(貝が、心の赴くままに成長してて、法則性というものが見当たらない
 「どーだっていいじゃん!」、な、形をしていた…) 
植物の標本は、美的に美しく、美を目指さないで美しいという発見をして、二人で大喜びしたり。
エロとスピを受粉させて妊娠、とか、もー日を追うごとにとめどなくエスカレートしていく。。。。。。 



果実は熟し、永遠へと、循環のひとめぐり。
インフィニティフルーツが、たわわに実る。。。 

そうして作品展が終了した。





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来ていただいた方々に、最大級の愛と感謝を♡
ありがとう。 

果実の名前は「ありがとう」
今の、純粋な気持ちです。 

昨日も、そして、いままさに、ありがとうの波を貴方に捧げます。 

私は、考え、思い、そして熟しました。 

その全てが、起こる出来事の結実した証として、今の私の中にあります。 

昨日は、Ya-Weyさんと二人で、熟した果実の打ち上げをしました。いろいろなことを受け取り、それをまた、永遠の方向へと流してくような打ち上げでした。 

目に見えない存在の喜びも感じつつ、呑みました。 

私たちは、まだ熟しきれていない果実のままの「人間」という存在ですが、その、未熟さを「今」噛み締めて味わっています。 
未熟ながらも、試行錯誤し、改め、受け取り、捨てて、善きように、生まれるままに、熟しようとしている果実として、今を生きている人間として、変化のいまこの時を生きている。 

私はこれを、喜びとして、感謝とともに、今をわかちあう方々とともに味わいたい。それが、私の望む事。 
今回の作品展では、出会う人ごとにわき上がる感情があり、それのどこれもこれもが、熟する時のための味わいでした。 
具体的にお知らせするのも何ですが、そのどれもが宝物として、私を包み込んでいる。これから何が待っていようとも、どんな出来事が降り掛かろうとも、味わい尽くす勇気を与えてくれました。

そんなことを考えつつ、今日という日もまた更けていきます。 

人間として生きているという事の実感を味わっている、最高の時を与えてくれた宇宙にも、最高の感謝をささげつつ。 

ありがとう。
飛び込みで、私の作品を見てくださった方も、ありがとう。 

東大にもありがとう。 

本郷三丁目にもありがとう。

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実りは「うたげ」 

貴方の「うたげ」、私の「うたげ」
そのたわわな実りを、いまここに。
ひとつのおわりは
ひとつのはじまり。 
作品展の終わりは、何かが始まった事のしるし。
何が始まったのだろう? 

作品展を振り返った。

ぼんやりと、こういうイベントがあってもいいかな、と 思いつく。
来てくれる方々と作って行くイベント。 
作品展という場所で、来た人とさまざまな交流をする。 
カードリーディング、セッション、おしゃべり、食べ、飲み、またしゃべり。
気付いた事を、お互いにシェアし合う。そして、シェアした事からまた新たな気付きを得る。
それは、終わりの無い茶話会。エンドレスに続く気付きの螺旋。
ひらめきは、ひらめきを呼び、遠くのひらめきに感応し、それがまたシンクロの形で帰ってくる。 
作品を見るだけの人も居るだろうし、作者の私たちと様々な気付きをシェアリングする人も居るだろう。 

おしゃべりの中で気付くことは多い。それが、食べたり飲んだりすることで加速。作品があることで、ひらめきや、シンクロや、感応のフィールドが出来あがる。 
受け取るものも受け取らないものも、相手まかせ。 
ただ、場所があり、交流があり。
目的も無く、流れて行く時間と空間。 
その先には、それぞれの変化があり、 それを持って帰ってもらう。

ああ、なんか見えて来た。
そうだ。そういうイベントしよう。







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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2007/02/09

■ 勇気と信頼 ■ DATE 07/02/09



私は、おみくじのメッセージを送る時に

「勇気と信頼と共に」と

メッセージをしめくくる



勇気と信頼について、自分の中での意味はハッキリしているけれど、
敢えてそのことについて、人に説明したことはなかった。。。


   勇 気 と 信 頼



このメッセージ、いつの頃からか、ことあるごとに降りてきた
それは、根源的な深いもののように観じていた


人は、自分自身に向き合う時に、とても大きな勇気がいる。

見たくない、内側にざわめいているさまざまな感情。

怒りや悲しみ苦しみ孤独感。。。

それらを観る事に、どれだけの勇気がいることか。



そのことを考え続けて
 『判断』
が、人を苦しみに陥らせていると思った。


これは、自分の中に在ってはならない感情、いけないこと、許せないもの…
その「判断」が、知る事をさまたげている。そう思ったのだった。。。
まず、人は、自分のそういった感情に気が付かないし
気が付いても、その深い所までは観ようとしない。
表面的な『否定』、ネガティブなものに捕われ、それをまた否定する。
否定してはいけない、という否定。否定に否定を上塗りしていく。
否定の上に否定を繰り返して行く事で、本当のところの光に辿り着けない。

そのひとつひとつに光を当てて「観る」ことは、本当に勇気のいる事なのだ。

最初は、判断を捨てる事に焦点を当てて、色々考え込んだ時期があった。
そこで、『禅』の、「無分別」ということを知った。
全ての事柄に、「分別」をしない。

あってあるがごとし、ありのまま。

それを、身を持って「識る」ことが課題になった。


そして、少しずつ、分別の世界から身を放していくようにしていった。

でも、人間の中には、澱のように、さまざまな感情が癒されずに残っているのも事実だった。

そうしたことから、ひとつひとつ感情を癒していくよりも、今、感じて観じていることにスポットを当て、それ自体として受け止める、ということをオノレに課していった。分別して分離してして、切り刻まれたオノレというものを、「今」という瞬間に統合していこうという作業



なによりも、今、から離れない。

それをするにの、一番必要だったのが、

「勇気と信頼」だったのだ。

自分の中に踏み込む、踏み込んで踏み込んで、底の底まで自分を観じてみる。



そうすると…

自分というものは存在していないという事に、
まさに、宮島でダライラマの法話の中に観たことが解った(ような)


自分というものは、在って無きもの。
でも、無いわけではない。
でも、在る訳ではない。


そこのところに、【粗】と【微】という問題が見えてきた。


粗いレベルでの「知」と
微細なレベルでの「知」


知る、ということの奥の奥を掘り起こすと、
そこにあるのは光だと感じ観じた。

まだまだまだ私は到底そのレベルにはいない。
でも、その微細なレベルにあるのが、光なのではないだろうか、ということを
なんとなく感じているだけ。


古来の、行者たちは、このレベルに達そうと、さまざまに行をしてきたと思う。
でも、今の時代に、そんな行は不要に思われる。。。

ただ、自分から逃げずにそこに踏みとどまること。


そして、それを微細に微細に細かくしていくこと。



今わたしが感じているのは、そんなレベルのこと。


最終的に、魂の自由を得る、それを知ることが
3次元に居る意味だとも思っている。。。。。

いや、いつの時、どの場所、どの次元でも
いつでも、魂は自由だったのだ。

ただ、みなそのことを忘れ果てている。
今という時、魂の自由だったことを
ただ
普通に思い出す事が始まっているだけなのでは
ないだろうか…




意識変革の窓「星形二重正四面体」

…マカバ瞑想でイメージする星形二重四面体。
なかなか、映像として把握するのが難しいので、描いてみたわけ。
結構いい感じで出来たので、オリジナルカードに加える予定デス♪

 
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