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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2005/06

■ 悟ったバカ話 2005/6■



え〜、ばかばかしいお笑いを一席



てなわけで、

先程、悟りを開かせてもらいましたぁ〜


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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2005/04

■ スリーインワンのおはなし ■



[three in one concepts]「スリーインワンコンセプツ」というカウンセリングの技法がある。私はそれを、レベル4というところまで学び終えた。正式にではなかったが、それ以降のレベルも学んだ。スリーインワンという技法は、スピリチュアル初心者にとってはとても面白いカウンセリング技法だったので、かなりはまりりこみ。。。そして、この時代に出来た仲間たちは、今は他の技法に流れていって、NLPやエッセンスやホメオパシー等も交えつつ、さまざまな交流をした時代でもあった。

その「3」スリーとは、肉体マインドの事を指し、これらの統合を目指すことがその主旨だった。
主にキネシオロジー(筋肉反射)を使い、マインドがウラオモテのある応えをする『ダブルメッセージ』を取り払って、本来の魂の声を聞く事がとても興味深かった。


さて。そのスリーインワンの仲間とよく話題になることが、
「スリーインワンって、説明が難しい」だった。

セッションを受ければ一発でわかるんだけど。
受けたことのない人に説明できない。
あれがこうしてこうなって、と、一応流れは教えられるが。
でも、それがどうしたの、と、言われると、一歩も前進できないような。

昨日も昨日とて、知り合いに説明しようと試みたり。
スリーインワンが、子供時代のトラウマや過去の問題を扱うので、
今を生きるのに、過去のことなどを掘り出し

ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2005/04


人間万事塞翁がフォケロス



2005年4月の終わりのある日、仙台に行った。

この旅行のあいだ、暇に飽かせて(苦)相方のYa-Weyさんが解放してくれた
『わけのわからないもの』のことをずっと考え続けていた。。。。。

その日彼女は、私の中からものすごく色々いろんなものをとりだしては解放してくれた。私の解放は、でたらめで面白いという。

 …そういう自覚はないのですが…

彼女にとっては、私は面白い素材らしい。
私を解放する事で、なにかが変わる事を楽しんでいるような。
その、影響をたのしんでいるような。
もちろん私もめちゃくちゃ楽しんでいたけれど。

3次元から4次元。いやもしかしたらあれは
6〜7次元か、137次元のジュボラケラストレンのゴロゴロ。
つーなくらい。
多次元に渡って、多宇宙に渡って、過去未来に渡ってのものだった。
楽しくない訳が無い。

13次元の内分泌腺がぶっ壊れ「フォケロス」という
正体不明物体が、突然生まれてパルプンテ。
吾妻ひでおなら、
『じりもわ〜』(爆死)

で。
『わけのわからないもの』=フォケロス=という名称が…

****************************************

「わけのわからないものって、何か略語にできない?」

という相方の言葉で、絞り出したのが宇宙語の『フォケロス』!!!

フォケロスは本当にわけがわからないものだった。
幾何学模様ちっくで、自由奔放、概念というものが無く、捕らえ所が無い。
え?でも、それを言ったら、人間もわけわかめでフォケロスなんじゃないか?
精神世界なんて全部フォケロスだろう。

見えない世界=フォケロス

げーじゅつ=フォケロス

エネルギー=フォケロス

氣=フォケロス


みんなフォケロスぢゃないか…

わけのわからないものは恐ろしい。それは『予想不可能』だから。
脳は、予測不可能なものを嫌う。全てが規則正しく、計算通りに、時間通りに、 めもりの通りに行かないと、ストレスを起こす。 でも、この世界に予測通りに動くものなどないのだ。規則も、計算も、時間も、目盛りも 全ての事は脳の中の決まり事。
脳が、そう見て、そう信じているだけの世界が、3次元。
そのことに、わたしたちが気が付くのは、いつの日だろう。
在って無く、無くて在る世界。
仏教でいうところの「空」

で、わけのわからないものはおそろしいという、この(左脳の)信じ込みを解放した。
こわいことなんてない、この世界はもともと、予測不可能なのだ。
それを…予測不可能を感じれればいい。そういう解放をしたのだった。
そうしたら、「フォケロス」という【わけのわからないもの】が増殖していく。
どんどん、どんどん、増えて行く。

時空間に「フォケロス」がいっぱいになった。
フォケロスだらけだ!
なにもかもわからない、でたらめだらけの、そして、わけわかめの
左脳の理解できない、でも、あるがままの。。。


まさしくフォケロス。
なんだこりゃっっ(ほとんど泣き笑い)
でも、すばらしい。
ゆったりと、でたらめを満喫できるなんて。
すばらしい豊かさだ。。。

しかし、その時のわたしは、まだぜんぜん受け入れて無い感じだった。
じたばたが止まらない
予測可能なものに、規則正しいものにすがろうとしていた。
脳味噌はおいてけぼりを喰っている。
解放してくれたYa-Weyさんの方がすっかりフォケロスの達人になって
このでたらめを喜んでいる。
すごい。
わけわかめを受け入れるって、かなり、すごい。
それも、なんとなくわけわかめというより、自 覚 的』に受け入れることが。
自覚的ってことは、選択してるってことだし。
でたらめを選択しているということだし。

わつしも、フォケロスの達人になりたいであるぞ!!!
  …わけわかめに生きる…
わけわかめを自覚し、選択する。
そーだ。それだー。(然し水面下はじたばた)





  あれから幾歳月

すっかり私の中は、でたらめになった。
自然に、豊かに、それを取り入れている。

有り余る豊かさとは、在って無く無くて在るものを受け入れ
また、そのどちらにも捕われずに生きる事。


そのまま、なにも判断せずに、ありのままの世界を受け入れる事。
それを、今、わたしは生きている。






= O L D  S P I R I T 企 画 =  

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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2003/07/00

■日々想ふまま徒然日記 1■

自己を規定するものは何か?
それは他人の中に在るのか?それとも
己れの中に見いだすものか?
孤独とは何か?
人にくだされる価値とは誰が決めるのか?
彼は黙し、おのれに課せられた孤独を考え続ける。
孤独が教える言葉以外の世界を想う。
言葉では表せない領域の果て。
地平にかかるうっすらとした霧の様な……


 
◆あるエコな日−DATE 03/07/00


現代は、大量生産、大量消費という、アメリカ型の消費サイクルに世界中が飲み込まれつつある時代だ。(それがグローバリズムだってんなら、唾を吐いてやる)
私もそういう経済の中で四苦八苦をしてきて、価値観を見失い、自分もただ消費される部品のひとつのように感じて、苦しんだ。
人間はメディア(媒体)だ、と、養老孟司が言っておられた。人間は設定され、情報が印字され、書き替えられ、移動され、削除され、流れ流れてまた空の海に還っていく。そんな渦に飲み込まれて自分を見失ったら、どうしたらいい?


2003年、雑誌[SWITCH]6月号に、ゲイリー・スナイダーという60年代70年代ヒッピームーブメントの知的ヒーローとして影響を与え、今に至るまで影響を与え続けているという「詩人」「文学者」「思想家」「東洋思想の研究家」「環境保護の活動家」と、様々な顔を見せる人のインタビュー記事が載っていた。

内容は、今のグローバリズムの対局にあるような 【地域】についての話だった。
ここに記事の全部を載せたいくらい「目から鱗が一ダース」な内容だけど、そうもいかないので、はしょると「自然における場所の感覚」の認識といえるかもれいない。。。。。
『こうでなければ世界が立ち行かなくなる』というリアリティの上で【環境保護】を考える。環境保護と言ってぴんとこなければ、地域性を考える と言ってもいい。



以前、「日本の建築は夏を旨とすべし」という建築思想があるのを知った。日本は高温多湿、夏の湿気をうまく調整できる建築が日本の風土にあったいい建築である、と。


風土にならう

自然にならう

地域性にならう

環境にならう


地域にならうことが、経済を考えるうえでも一番効率的なことなのだ、とインタビューは続く。
沖縄で一時、シェルターのようなコンクリートの住宅が主流になったけれど、これは、台風には強いが、高温と湿度、強い日差しに対応していないために、エアコンをフル可動させないとだめ、という結果的にはすごく 経済効率の悪い建築でしかなかったと云う。

それに比べ、沖縄にもともとある住居は、地域に「添った」もので、微妙な風を通し、強い風を防ぐ、というものだったらしい。『地域に添う』=地球に添うということは即ち経済効率もいいというとても納得できるお話だった。 


日本という行政的な区分ではなく、地球の中での 緯度と経度が作る環境、それが<文化>を作り、そこに住む人間の思想や感情、生活習慣、ひいては宗教感を育んでいく。

(さらに踏み込めば、太陽と地球の距離、角度、惑星・恒星の大きさ、密度という様々な要素をも含んで【環境】というものが成り立っているかが観得てくる…)

そんな『当たり前』のことを、どうしてみんな見失ってしまったのだろうか。


地域から…大地から…地球から切り離された人間は、自分の立っている場所が消えて、ひいては体との結びつきも消え、残っている印字された情報だけの存在になって、壊れていく


インタビューは続く。「スパン」ということ。
どれだけ長いスパンで物事が考えられるか。

今あるグローバリズムは『目先数メートル』くらいしか見えてないってことがよく分かる(欲に目が『眩む』とはいったものだ…)。それが自然を汚し、やがては人間の住む場所が失われていくということに繋がっている。目先の事しか見えていなければ、そんなことも分からなくなってしまう......

(仏教で言ったら大欲と小欲ってところ?…『大欲は無欲のごとし』兼好法師)



で、この記事に前後する様にして、私はあるお家の見学会にうかがった。
この家のテーマは「日本の伝統民家」
これがまたウロコが二ダースは落ちたか、って見学会だった。

日本の伝統民家の建築方法の家で、家主の説明を受けつつ、「ウンウンウン……」と、相槌が激しくなっていく。

単純明快な作り。『壁』があって『屋根』があるだけ。
一階と二階の間は板一枚。極シンプル
それでいて、日本の風土に合っている。
風に強く、地震に強く、湿気にも、高温にも強い。
日本の風土が育てた伝統建築。

すごい.......................................

土壁の説明を受けた。
土壁は呼吸する。
なので、換気の必要がない。
窓を開けるのは、四季のうちの夏だけだそうだ。それ以外は閉めておいても換気される。墨のように空気を浄化する効果もあるらしい。


内部の構造は、「筋かい」という鉄筋の剛構造の思想を使わない。揺らせて力を逃がす、【柔構造】

地域に密着しているということは、建築材料も国内で賄う。
輸送の無駄なエネルギーを使わない。
気候に馴染んで育った建築木材は、それだけ風土に馴染んで耐久性も優れる、どれもこれも。
衣食住の根底から、地域を考えなおすことを始めてもいい時期に来ているようだ。



そしてこれまた、そういう流れの中に前後して、知合った人が 私に【麻】の素晴らしさを教えてくれたりしたものだから。。。。。。一気に、私の中でエコブームが巻き起こり、麻というエコ素材にもすっかりやられてしまった。
おまけにその人が、オーガニックな野菜作りの話などしてくれ、その内容にも納得納得納得×100くらいの勢いで、否が応でも地域性ということで思考が盛り上がる。


「衣食住」と簡単に言うが、これは人間の基本中の基本、基盤だ。


たべもの、これはどこで採れてどういう調理をされて目の前にあるのか。

採れた場所の環境はどうだろうか、山がある、川がある、風は吹いているか、天気は?

調理をした人はどういう人か。
いらいらしているか、楽しんでいるか、怒っているか、愛情を込めているか込めていないか。



私の体は、たべものの、そういう要素も全部入って出来ている。
日々の食物を食べて、その栄養分で体が出来ている。そうやって、色々な要素で出来上がっている体で、こうして書くことが出来て、歩くことが出来て、見て、聞いて、感じて……

自然の気を十分に取り入れている野菜はとってもおいしい、という話もしてもらった。
そういう野菜を作っている人の話も聞いた。全てが繋がっている。衣食住が教えてくれる。自然が教えてくれる。空が、風が、水が、お日さまが、季節が

仏教の『縁起説』もひもとけば、そんな答えを返してくれる。

全てここのこの一瞬の私を形作っている。
全てが集約されてここに在る。
過去も未来もこの一点の私の中に。

その感動と感謝が溢れて来る……





環境についての示唆を与えてくれた、ゲイリー・スナイダー
墨絵の会の山田さん、嵯峨さん
仏教やその他総じてもろもろの現象に感謝します


OLD SPIRIT/霊 古 拝*

 


= O L D  S P I R I T 企 画 =

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ちょっと恥ずかしい過去の脳内会話〜2008/0?/??

■ ネイティブマインド ■



バイト先のしゃちょーと、引っ越しの話から大安仏滅の話になり、
どういうわけか、月の満ち引きの話へ
動物は月の満ち引きをどこに居ても感じる、といういうことから
海の話になり、社長はサーファーなので、そういう自然との関わりを 
身体で感じることがあるんじゃないですかー? 
という風にして話は流れ流れて、アボリジニの話になった。

アボリジニは、何日もかけて荒野を横断する時に、何一つ持たないで出かけるという。
その時その時に、まるで用意してあったかのように水や食料が手に入る、というのを本を読んだ。
「アボリジニの能力…それは、シンクロニシティを引き寄せる力、みたいですね、宇宙のサイクルを引き寄せる力とでも言うんでしょうか。でも、しゃちょーも半端じゃ無いくらいシンクロ起こしますよねえ」
なんて雑談した。 

実際、社長のシンクロニシティは日常茶飯事で、毎日のように、信号待ちしてたら知り合いに会った、夢を見たらその人から連絡があった、エレベーターに乗り合わせた人が旧知の人だった、映画館で隣に座った人が云々〜そんな話ばかり。 

霊感とか感応力って、遺伝するみたいですけど、御両親とか、どうだったんですか?って聞いてみた。
そしたら、親はよく知らないけど、妹は幽霊をいっぱい見ている、という。 
「先日サーフィンの帰りに空を見たら、地震雲が出てたので、東京に電話したら、ほら、このあいだの地震…あったでしょう?あれの時だったんだ。地震雲ってね、なんか普通の雲と違うんだよ。見ると分かるんだ。飛行機雲とも違うんだよ」という。 
目で見るものと違うものを見る力って、人間にはあるんだよねーっなんて話になった。
「アフリカに行った時、現地の案内人が見つけるよりも早く、遠くの方に象の群れを見つけたんだ。
あれは、『目視以外の感覚』で見ていたんだなあ〜」なんてことも言っていた。(シックスセンスかいな)
そんなことから、アボリジニの話に流れていったんだったか。

そんな社長は、ヒッピームーブメントのお尻にひっかかる世代の人だ。 
精神世界系の本もよく読んでいるらしい。 

で、雑談も一段落、仕事の打ち合わせを終えて机に戻ったら、
「この本差し上げます」のメモ書きと共に2册の本が置いてあった。
社長だ。 
『ネイティブ マインド』
『月の魔力』 
う〜む。このノリ、すばらしい。 

ネイティブマインド…アメリカのネイティブピープルだけではない、我々の住むアジアの東はずれの島国のネイティブマインドをも呼び覚ますような本。それも、忘れ去られた縄文の記憶。
聖なる場所や、聖なる言葉、日常が聖なるものだった日々の記憶。 
ネイティブアメリカン。アボリジニ。バリ島。沖縄。神社。ネイティブスピリット。
私の中に一続きの流れとして見えるもの。 

富岡八幡宮にガムランの奉納をするのが、何か、当たり前というか、ごく自然なことのように受け止められるのは、このネイティブスピリットで繋がっているから、みたいな気がする。
大地と自然に繋がり、人間はそのサイクルそのものであり、生活が聖なるもの、という考え。

環・太平洋に分布するネイティブモンゴロイドピープルに 共通する感覚があって
(アボリジニ、北米南米先住民、日本人、 オセアニアの人々、その他) 
「自然の円環につらなる人間ひとりひとりが神秘で聖なるもの」 
その暮らしも生活も全てが聖なるものである、という 考え方。 

すべてが繋がり合っていて、どれもこれもおろそかに 出来ない。 
毎日、何を考えて何をして暮らすかが、とても重要な。 

かといって、かまえる必要はないが、自分と云う神秘を 
おろそかにしない。(他の神秘にも尊敬を払うこと) 

北米先住民の長老達が口を酸っぱくして云うことは 
「他の人々の信仰のあらわしかたを敬え」 
だそうだ。 

しみるなあ。



青松寺(禅寺) で開かれた『仏教ルネサンス塾』

テーマは、『仏さまはどこにおわすか』 

日本人独特の宗教感の中に、魂=仏とするものがあって、
その仏たるや、山川草木のあらゆる場所に宿っている、というような
仏教と似て非なるその宗教感覚を、
宗教人類学者の佐々木宏幹が解いていった。

その独特の宗教感は…まさしくネイティブモンゴロイドの中に 共通する
『円環』(一切のものは相互依存の関係にある)の感覚と同じ… 
仏教で云ったら縁起説。 

全ての事物は切れることなく一つながりに繋がっている、というもの。
ネイティブアメリカンの云う『グレートスピリット』はあらゆるものの中に息づいている。

この島国の人の言葉を借りるなら、山川草木の中に。 

マザーアースが全てを繋いでいる。 

その聖なるものの感覚を、失わずに守り続けてきた、
ネイティブアメリカンの智恵を思った。 
この島国からは消えて久しい、大地との絆を守ってきた人々の智恵。

死も、自然のサイクルと捉えるポジティブな感覚。

かつて、この島国のあちこちに息づいていた筈の感覚。 
  スピリットは死なない。 
  いつでも自分の隣に、周りに、一緒に息づいている
という感覚。
あらゆるスピリットに取り巻かれているわたしたち。

というような…


***********************************************


人間は、進化や進歩や前進することを「よいこと」と、判断、分別する。
禅を少しでもかじると、この分別こそがクセ者と解るが、
分別の世界にどっぷり浸かりきっていると、そこのところが全然見えなくなる。

「よいもの」があれば、必然「よくないもの」が出てくる。
これが分離だ。ひとつのものが、ふたつのものに分かれる。 
「あるがまま」のものが、「よい」と「よくない」ものに分かれる。

あるがままであるのを、人間が「言葉」で「決め」、「分断」して、「概念化」させる。
そこは『見えない檻の中』 
本当は、進化など、この世のどこにもない。
くりかえしがあるだけ。
くりかえし、くりかえし、くりかえし、くりかえす。

ネイティブモンゴロイドの教えが浮かぶ。 
草木や動物−森の熊、草原のオオカミ、空の鳥、牛、猫、馬、カエル、昆虫、蛇からクジラからネズミまで−そして、空に海、川や山、全てがマザーアースのこども、つながり合った兄弟姉妹。そこには、進化なんてものの考え方が無い。 
あるがまま、そのまま、ありのままに在るだけ。

もっと辿れば、科学者のカール・セーガンが云うように、地球上のあらゆる物質、岩の中の硅素、大気中の酸素、体の中の炭素、金庫の金、兵器庫のウランも、何千億光年の彼方で、何千億年も前に作られた、星の物質から生まれている、と。 
だから、私たちは全て、星の子供であると。

どこからこんなに、皆が皆、分離の世界に突っ走ってしまったのだろう?
精神世界の云う、天使や悪魔、生や死、闇と光は、ひとつのもの。 
憎しみは愛の中に、悲しみは喜びの中に、痛みは癒しの中に。 
そのままでいい、そのまま、あるがまま、痛みやストレスを抱えたままの人間の姿でいい。
自分が、ただ自分であるという喜び。 
自分というものが、実は世界の全てとつながっているのだ、という喜び。

そんなことを考えつつ。 

雨に打たれながら、駅まで歩く 
冬の寒い季節以外は、結構雨の中を歩くのは好きだ。

雨に打たれながら歩いていると、 
地球と会話しているような気分になる。

たまには、雨に打たれてみるといいよ。 
地球の息吹を感じられるから。 
都会でも、雨は降るから。








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